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【コーディネーターを務めるヨミドクター編集長・岩永直子より】

 私事ですが、私が人生で初めて看取みとった人は、父(享年63歳)でした。父は私が大学生の頃、血液がんを発症し、いったんは抗がん剤で、がんが見えなくなるところまでこぎ着けましたが、9年後に再発しました。当時、警視庁担当記者として忙しく走り回っていた私は、東京の自宅から病院に通っていました。ですが、いよいよ父が余命わずかとわかり、母が埼玉県の実家に連れて帰ったタイミングで、私も泊まり込みで父の世話をすることにしたのです。

 私たちは、それまで、よく死について語り合う家族でした。父は自身の父親や兄たちが皆、40代、50代という若さで、がんで死んでいたこともあって、「自分もがんで早死にだ」と家族に語り、「自分が死ぬ時は苦しいのは嫌だ。延命治療はするな。自宅で死にたい」と常々、私たちに言い聞かせていました。私も父のがんをきっかけに、死の恐怖が頭から離れなくなり、大学時代にホスピスで1年間調査をさせてもらいながら、死の恐怖へのケアをテーマに卒業論文をまとめていました。

 それでも、父がいよいよがんで終末期を迎える、となった時、父も私たちも動揺しました。「延命治療はしない」と宣言していたはずの父が、最終段階になってからも抗がん剤治療を希望し、口から食事が取れなくなり、脳に転移したがんが父の意識を奪ってしまっても、家族である私たちは、訪問医が静脈点滴をするのを止めませんでした。どこかで、「何もしないで見守る」ということが怖かったのかもしれません。

 既にがんが体中に転移し、水分をうまく体に取り入れられなくなった父は、ひどくむくみ、空気で膨らむ床ずれ防止のエアマットを敷いていたにもかかわらず、尾てい骨のあたりに床ずれができました。たんも詰まり、看護師さんに吸引される姿は苦しそうでした。私たち家族にもとてもつらい光景でした。

 ところがある日、父は右腕につけていた点滴を自分で引きちぎりました。今思えば、がんの影響で意識がもうろうとしていたのかもしれませんが、私たち家族は、それを父からの「無意味な延命治療はするな」というメッセージと受け止めました。

 点滴を中断することを在宅医や看護師に伝えると、担当のベテラン看護師さんは「私もそれがお父さんにとって一番楽だと思いますよ。水分を無理やり入れると、患者さんは陸の上で溺れたような状態になり、かえって苦しみます。今、お父さまは楽になっていますよ」と説明してくれました。むくんでいた父の顔や体は徐々に私たちが見慣れた姿に戻り、見守る私たちもほっとする気持ちでした。

 訪問看護師さんは水分を含ませたスポンジで、父の口内を拭って口の中をきれいにし、口の渇きを和らげるケアを私たち家族に教えてくれました。最後まで父にしてあげることがあるのは、ありがたい気持ちでした。

 いよいよ呼吸が乱れ、血液中の酸素量も減り始めた時も、訪問看護師さんは、「苦しそうに見えるかもしれませんが、酸素が減ると麻薬物質に似たものが体内に出て、かえって本人は楽になっているんですよ」と説明してくれました。そして、「亡くなる時もすぐに医療者を呼ばなくていいです。落ち着いたら連絡をくださいね」と事前に伝えてくれました。

 11月1日の早朝、交代で父に付き添っていた私が様子を見ると、今までとは違う呼吸の弱まりを感じました。死の直前特有の、下顎を上げる呼吸が始まったのです。仮眠を取っていた母を起こし、家族だけでそばにいて父に感謝の言葉を伝え、父が最後の一呼吸をするのを見届けました。母は涙をこぼしながらも「こんなに穏やかな気持ちで見送れるとは思わなかった」と私に言いました。

 振り返ると、父も私たちも結局は迷い、慌てたのですが、生前、父が繰り返し「苦しいのは嫌だ。延命治療はするな。自宅で死にたい」という希望を伝えてくれていたおかげで、最終的には希望に添う形に軌道修正できた気がします。そして、それを支えてくれた看取りまで行う訪問医療が自宅周辺にたまたま整っていたこと(そもそもこの最初のハードルでつまづく人がたくさんいるということを、私は後で医療取材を始めて気付くことになりました)、病状の変化に従って、看護師さんが私たちの心が楽になるように適切な説明や指導をしてくれたことが、穏やかな看取りにつながったと思うのです。

 もちろん、希望を示していたからといって、医療やケアの環境が整っていたからといって、必ずしも思い通りの時間を過ごせるとは限らないと思いますが、最期まで自分らしく生き抜くためには、大事な要素だと思いました。

 私はこうしたことを父に教わりました。皆様お一人お一人も、これまで、大事な人の「さよならを言う前の時間」に関わる中で、色々気付かれたことがあると思います。ぜひ、ここで語り合いませんか? 医療担当の記者として、医療サイトの編集長として、皆さんと引き続き考えたいと思います。どうぞよろしくお願いします。