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2025大阪で「欲望の社会」再び……堺屋太一さんが万博展

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模型を前に大阪万博の様子を説明する堺屋さん

 1970年(昭和45年)の大阪万博をプロデュースした作家の堺屋太一さん(83)が監修する「万国博覧会展」が、東京都新宿区に自ら開設した美術愛住(あいずみ)館で11月25日まで開かれています。大阪万博のシンボルとなった「太陽の塔」をはじめ各施設が並ぶ会場の模型や、コンパニオンの制服が見所で、世界各国で開かれた万博の歴史を紹介するパネル群も。日本は2025年に大阪での万博開催を目指していますが、かつての万博を振り返りながら新たな万博に思いをはせる展示となっています。

ペーパークラフトの「万博会場」

 展示の目玉は、小学生の頃、万博に魅せられた京都府の会社員男性が2009年から制作している、ペーパークラフトの会場模型です。300分の1サイズで、幅約6メートル、奥行き約3・5メートルの中に、シンボルとなった太陽の塔やドーム型のアメリカ館、七重の塔の形をした古河パビリオンなどが精巧に再現されています。

会場を彩ったコンパニオンの制服の展示。施設を出展する国や企業のイメージ、機能が考慮されてデザインされている

 コシノジュンコさんや森英恵さんらデザイナーが手がけた、コンパニオンの制服も飾られています。日本万国博覧会記念公園事務所から借りたもので、当時流行したミニスカート、パンツの上にスカートを重ねた時代の先端を行くスタイルが取り入れられています。「会場にいる気分になって、当時のにぎわいを感じてほしい」と堺屋さん。

多様性高める万博の意義

  旧通商産業省(現経済産業省)の官僚だった堺屋さんが万博開催に関わり始めたのは28歳の時。「若い頃はやりたいことをやるのもいい。日本で万博を開くとか」という上司の言葉がきっかけでした。書物を読み、1889年のパリ万博でエッフェル塔が建ったことなどを知るうちに、文明を進歩させる万博の影響の大きさを実感しました。

 1964年の五輪開催を間近に控え活況の東京と比べ、低迷する関西での万博開催を目指しました。「東京の一極集中ではなく、東西の双方の成長が不可欠。先進国の技術や文化を取り入れて、社会の多様性を高めるべき」と考えたからです。通産省では工業用水の担当でしたが、通産省や大阪府の幹部、国会議員に万博開催の意義を説明して回りました。

用地を101日で買収

 開催には条件などを定めた国際博覧会条約を批准し、加盟国の理解を得て博覧会の事務局(パリ)に申請する必要がありました。堺屋さんはその後、万博準備の担当となり、議員らへの説明を続けました。理解が浸透し、条約は批准されました。

 65年初め、先輩に同行し当時の佐藤栄作首相を訪ねました。「(前首相の)池田勇人さんの五輪を上回る行事は万博しかありません」。訴えに首相は「面白い。佐藤の万博にしたい」と乗り気に。加盟国に日本の魅力や熱意を伝え、開催の申請にこぎつけました。

 用地330万平方メートルの確保が急務となりました。ここでは地元の大阪府知事が協力、東京ドームの約70倍もの広さでしたが「(府北部の予定地を)100日で買え」と号令を発しました。全国から集められた土地買収のベテランと堺屋さんは地主を説得し、買収は101日目に終えました。

丹下健三と岡本太郎の衝突

 施設の検討に入ると、建築家の丹下健三さんと芸術家の岡本太郎さんがぶつかりました。会場中心の区画に、丹下さん設計による未来都市をイメージした大屋根をかける計画が進んでいる時でした。岡本さんが大屋根の真ん中に、生命をモチーフにした塔を造ると言い出したのです。

 「塔は小型にして隅に移しては」「展示の中心に一目で分かる造形が必要」。激しい議論となり、堺屋さんが取りなそうとしても、収まりません。1か月して、屋根に穴をあけ、塔が突き抜けて建つ案に落ち着きました。地面からは塔の下部しか、上空からは上部しか見えない格好にすることで、丹下さんが納得したといいます。

未来を先取りした万博

 70年に開幕した大阪万博で最も人気を集めた施設の一つはアメリカ館で、宇宙船アポロ号が持ち帰った「月の石」を目当てに長蛇の列ができました。当時は珍しかった動く歩道、後に実用化された電気自動車、ワイヤレステレホンにも注目が集まりました。外から内部が見えるガラス張りの食堂がお目見えし、万博後、国内に登場するファストフードのさきがけともなりました。

各施設の入場者数が掲げられた階段

 世界の警官によるオートバイの実演、タイから来た象の行進、阿波踊りと、広場や通りでも多彩な催しが行われました。当初予測の倍を超す6400万人が半年で来場しました。堺屋さんは「人々が一番欲しがっているものをみせるのが近代の博覧会。高度経済成長で何でも実用ばかりの時代だったが、遊びの概念や文化や活気、楽しみの価値を大事にする発想が出てきた」と万博の意義を語ります。

 日本は2025年に、大阪での万博開催を目指しています。金利が下がっても投資しない。所得が増えても消費が増えない。若者はなかなか結婚しない。そんな今の日本を堺屋さんは「欲望が低い社会」ととらえます。「万博は、面白がって何かをやろうとする気分を盛り上げ、人々の意欲に火を付けられる。大阪で再び万博を開くことで、『多いに遊びたい』『結婚したい』という欲望の社会にしないといけない」と堺屋さんはみています。今回の博覧会展が開催の後押しになるよう願っています。

 展示は一般財団法人堺屋記念財団の主催。入館料は一般と大学生500円、小中高校生300円。午前11時~午後6時(入館は午後5時30分まで)。月、火曜休館。問い合わせは美術愛住館(03・6709・8895)。

 堺屋太一(さかいや・たいち) 1935年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、通産省に入省した。大阪万博、沖縄海洋博などを担当し、78年に退官。在職中の75年に「油断!」で作家デビュー、続いて「団塊の世代」を発表した。小渕、森両内閣で経済企画庁長官を歴任。近著に「地上最大の行事 万国博覧会」(光文社新書)。

 

 

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