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企画展「東京150年」(10月8日まで、東京・江戸東京博物館)
今年は、「江戸」が「東京」に改称されて150年の節目です。明治維新とともにスタートした東京の街は、関東大震災や太平洋戦争によって壊滅的な被害を受けながらも、復興、発展を続けてきました。そんな東京の歩みを振り返る企画展「東京150年」が、東京都江戸東京博物館で開かれています。沓沢博行学芸員が見どころを案内してくれました。
写真や映像、地図など120点
企画展は、①明治の東京と市区改正、②関東大震災と帝都復興計画、③戦災復興と1964年東京オリンピック、④副都心と現代の東京――の4章で構成され、貴重な写真、地図など約120点が展示されています。
明治初期、江戸から名称が変わったばかりの東京は、現在のJR山手線の内側と隅田川以東の一部を合わせたほどの範囲でした。
1871年(明治4年)の廃藩置県などを経て、区域が広がっていきます。1876年(明治9年)の「明治東京全図」を見ると、今の東京23区より小ぶりな区割りが書かれています。1893年(明治26年)、三多摩地域が編入され、ほぼ現在の東京都域が確定しました。
水道や道路、鉄道といったインフラ整備、大震災や戦災の後の復旧・復興のたびに大規模な都市計画が作成され、これらの地図から東京の変容を実感できます。
明治期、街は木造家屋が多く、人々は和服姿
企画展の目玉の一つが、明治期の東京の様子を収めた写真です。徳大寺公弘氏が写した銀座の街は、木造家屋が多く並び、人々も和服姿でした。このほか、日本橋、築地、小金井、八王子などの風景が展示されています。
現存最古とされる空撮写真もあります。1904年(明治37年)、築地から揚げられた気球から撮られた写真には、丸の内など整然と並ぶ中心街が広がっています。
関東大震災と帝都復興
明治期の東京は、江戸時代から続く木造中心の街並みでした。これを一変させたのが、1923年(大正12年)に起きた関東大震災です。多くの建物が倒壊、焼失しました。企画展では、燃え盛る街と廃虚と化した様子が映像で紹介されています。
震災後、「帝都復興計画」が立案されました。地震と火災を教訓に、コンクリート造りの学校、公園、橋が整備され、6年半後の東京は、モダンな都市に生まれ変わったのです。
戦災で再び焼け野原に
昭和に入り、アメリカなどとの間で太平洋戦争が始まりました。1944年(昭和19年)以降、東京は何度も空襲を受け、再び焦土と化しました。企画展では、1945年(昭和20年)の終戦直後、東京に進駐した連合国軍のカメラマンが撮影した映像と写真が紹介されています。いずれもカラーで、茶褐色の焼け野原と青空のコントラストが印象的です。新宿を撮った写真では、中央にデパートの「三越」、右側に「伊勢丹」が見えます。
戦後復興、高度成長、そして現代へ
廃虚となった東京をもう一度よみがえらせるため、大規模な「戦災復興計画」が作られました。計画はごく一部しか実現しませんでしたが、「闇市」で栄えていた新宿、池袋、渋谷は、人々が集まりやすい広場や繁華街が整備され、後に「副都心」に位置づけられたのです。
日本は高度経済成長期を迎え、東京には企業が集中し、人口が激増しました。広大な浄水場があった新宿には、1970年代以降、超高層ビルが相次いで建設され、1990年(平成2年)に東京都庁舎が完成しました。湾岸地域では埋め立て地が広がり、今も変化を続ける様子が、写真パネルなどで紹介されています。
企画展示室と隣接する常設展示室では、復元された建物や模型、実物資料などを通じて、東京の移り変わりが体験できます。
沓沢学芸員は「常設展示とあわせて見ていただくことで、東京という都市の成り立ち、変遷を振り返ってほしい」と話しています。
(塩谷 裕一)
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