辻仁成「太く長く生きる」(51)「小説の書き方」

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「サーモンのマドレーヌを作りました。ワインにあいます。」

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 小説を書き続けるのは容易なことではない。そもそもこれだという小説の書き方なんてものはない。だから、毎回、どうやって書いてきたのかを必死で思いだすことから執筆作業ははじまる。あるいは、何を書けばいいのかを探すところからはじまる。30年もどうやって作家なんてものを続けることができたのか思いだせず、本棚に並ぶ自著を眺めては驚く有様。実際、新しい作品を書こうとすると怖くなる。もうさすがに書けないのじゃないか、と思うことの連続だ。それでも作家なんだから書かなければならない。しかも読者の期待をいい意味で裏切る作品を書き続けなければならない。これは大変な仕事かもしれない。

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 「真夜中の子供」という新刊が世に出た。この小説は文芸誌「文藝」からの依頼で書かせて頂いた。文藝という舞台で発表するのであればやりたいことがある、と編集者に申し上げた。

 「芥川賞受賞作の『海峡の光』のような小説を書いてみたいのです」

 「海峡の光」のような…。自分で言っておきながら、それはどんな小説だろう、と悩んだ。編集者は、読んでみたい、とすぐさま同意してくれた。思い付きで飛び出した宣言だったが、その一言がきっかけとなった。もう一度、箱庭世界を描かなければならないのだと私は思いついた。私は15年以上もフランスで暮らしている。ここから眺める祖国は、激動する世界の中にありながらも箱庭的な世界観をいい意味でも悪い意味でも保ち続けている。異国で生きる作家だから書くことのできる日本のアクチュアルを作品に抽出したい。「海峡の光」も実は箱庭小説である。少年刑務所という狭い世界の中に宇宙を描きたいと思って挑んだ作品であった。函館と津軽海峡というトポスが原風景として用意された。

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 では、新しい小説の箱庭的なトポスとはどこであろう。すぐに思いついたのが、西日本最大の歓楽街でもある中洲。福岡は幼い頃に過ごしたことがあり、今現在もそこに実家があり、必ず毎年何度か立ち寄る馴染なじみの土地である。その中でも異彩を放つ歓楽地の中洲はまさに箱庭世界そのもの。私はすぐに福岡に飛び、中洲を隅々歩くことになった。夜が明けるまで路地にたたずみ、登場人物が出現するのを待った。頭の中に様々なイメージが浮かび上がっては消えた。老舗のバーに入りウイスキーをめながら、或いは、橋の中ほどに立ち、夜の川面を見つめながら、或いは、交差する外国人観光客たちを振り返りながら、或いは、夜明けの光を待ちわびながら、中洲を小説の箱庭へとしつらえていった。

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 そして帰仏を目前にした最後の夜、中洲警部交番前の路地を横切った幼い少年の後ろ姿が、作家の網膜に決定的なイメージを投げつけることになった。それが主人公蓮司との出会いの瞬間でもあった。少年が蹴り上げる中洲の路地から音が消え、私は動けなくなった。頭の中で物語の歯車が回り始め、次から次に、断片的なイメージが降り始めた。続いて「真夜中の子供」というタイトルが生まれた。これしかないと私は興奮を覚えた。もし、あの少年がここ中洲から出たことのない、出たくない少年であったなら、と想像した。それはなぜだろうと頭をひねった。彼はどのような生い立ちの少年なのであろう。どのような未来を見つめているのであろう。その子の幸福とは何か、その子が求める愛とはなんだろう。私は想像し続けた。

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 暗闇の中の一条の光をつかまえるような作業が続き、少しずつ物語の輪郭が出来上がっていった。無我夢中で小説と向かい合った。物語がひとたび動き始めた後は早い。自分で書いているのだが、筆に速度が出始めると、毎回、何かに身体をのっとられる。そして完成した原稿を前に、私はこれをどうやって書いたのか思いだせなくなるのであった。

 

今日のひとこと。 『小説に書き方はない。生き方がある』

辻さんプロフィール写真2016年10月21日WEBマガジン用

辻 仁成(Tsuji Hitonari)
 東京生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。著書に『太陽待ち』『サヨナライツカ』『右岸』『永遠者』『クロエとエンゾー』『日付変更線』『息子に贈ることば』『パリのムスコめし』『50代のロッカーが毎朝せっせとお弁当作ってるってかっこ悪いことかもしれないけれど』『父 Mon Père』『エッグマン』など多数。近著に『立ち直る力』(光文社)。
 ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動する。現在は拠点をフランスに置き、創作に取り組む。パリ在住。映画監督・音楽家・ 演出家の時は「つじ じんせい」。

 2016年10月にウェブマガジン「デザインストーリーズ」を開設。デザインと世界で活躍する日本人の物語、生きるヒントを届ける“ライフスタイルマガジン”。辻編集長のインタビューはこちら

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