辻仁成「太く長く生きる」(50)「人は何に疲れているのか?」

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「疲れたらこういう場所を散歩します」

 ◇ ◆ ◇  

 私は日々疲れまくっています。でも、それは育児や仕事や主夫業のせいではありません。いったい何に疲れているんだ、と鏡に映った自分に問いかけてみました。すると鏡の中のやつれた私がこう言ったのです。「そりゃあ、いろいろだよ。たとえば、やりたくないことをやるから、君は疲れるんだ」

 「なるほど、やりたくないことばかりだもんな、掃除、洗濯、片付け、PTA、進学についての話し合い、建物の管理組合とのもめ事、会計士とのお金の話、上げたらきりがない」

 ◇ ◆ ◇  

 「それだけじゃない。君の場合はもっと理由が他にもたくさんある。たとえば、君はなんでも引き受けちゃうだろ? 仕事を依頼されると断れない性格。だから僕がこんなにくたびれちゃうんだよ。その上、君は無理して頑張っちゃう。やらなくてもよいことを一生懸命やりすぎる。その上、我慢もする。誰にでもいい顔しちゃうから疲れるんだよ」

 「いやぁ、たしかに。そりゃ、疲れるな」

 ◇ ◆ ◇  

 「その上、誰でも彼でも信じ過ぎる。だから疲れるんだ。そもそも君の周りを見回してみろ、君を疲れさせる人間ばかりじゃないか?君がいい顔して、なんでも引き受けちゃうから、いろんな連中が、こいつはいいカモだ、と思って近寄ってくる」

 「疲れさせる人間か、確かに、そんな連中ばかりだな」

 ◇ ◆ ◇  

 「その上、そういう連中というのはまず他人と君を比較する。あの人はこうだった、あの人は出世した、あの人は立派だった、あの人は歌がうまい、あの人は背が高い、あの人は良くご馳走ちそうしてくれたってな具合だ。これじゃ、疲れて当たり前だ。比較するな、と言ってやれないのか?」

 「やれやれ、疲れるわけだ」

 ◇ ◆ ◇  

 「そもそも、君を一番疲れさせているのは他でもない、君自身なんだよ。周りの連中よりも君自身の方がずっと君を疲れさせている。君は勝利とか成功ばかりを目指すだろ?そういうのが実は一番厄介なんだ。第一、成功ばかり考えるから無理をする、我慢をする、自分をないがしろにしてしまうんだ。まず、その自分をなんとかしろ。自分を大切にしない人間は疲れて当然だ!」

 鏡の中の私はそのようなことを言って、私に背中を向けてしまいました。その後ろ姿は哀れなくらいに疲れ切っていたのです。結局、人が疲れるのは、自分自身との向き合い方に原因があるのだということでしょう。

 ◇ ◆ ◇  

 そこで私はまず、自分の目標を少し下げてみることにしました。自分で決めた期日を少し遅らせてみることにしたのです。自分の日々のノルマを減らしてみることにしました。遠くの大きな夢ばかり追いかけないで、身近に転がっているささやかな幸福に目を向けるようにしたのです。

 そして、ほんのすこし、自分のためにつかう時間を取るようにしたのです。ちょっと野心を緩めることでぐんと楽になりました。背負っている荷物を一度下ろしてみようと自分に言い聞かせました。

 ◇ ◆ ◇  

 一生は一度しかない。この人生はいったい誰の人生だよ、と自問してみるのもいいのかもしれません。私はそういう時、海に行き、遠くを見つめながら歌います。昨日も、ギターを抱えてモンサンミッシェルに行き、歌ってきました。果てしないものを見つめると自分の小ささに気づかされます。泰然と構えてゆっくりと日々をみしめて生きていくのが一番です。

 そして、小さな夢を少しずつクリアしていけばいい。その積み重ねがもしかしたら最後の最後に幸福という喜びを届けてくれるかもしれません。鏡の中の私が振り返りました。そして、私にウィンクをしたのです。「その通り、辻君、よく気が付くことができたね」

 

今日のひとこと。 『出来るだけ小さな目標を一つ一つクリアしていきましょう』

辻さんプロフィール写真2016年10月21日WEBマガジン用

辻 仁成(Tsuji Hitonari)
 東京生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。著書に『太陽待ち』『サヨナライツカ』『右岸』『永遠者』『クロエとエンゾー』『日付変更線』『息子に贈ることば』『パリのムスコめし』『50代のロッカーが毎朝せっせとお弁当作ってるってかっこ悪いことかもしれないけれど』『父 Mon Père』『エッグマン』など多数。近著に『立ち直る力』(光文社)。
 ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動する。現在は拠点をフランスに置き、創作に取り組む。パリ在住。映画監督・音楽家・ 演出家の時は「つじ じんせい」。

 2016年10月にウェブマガジン「デザインストーリーズ」を開設。デザインと世界で活躍する日本人の物語、生きるヒントを届ける“ライフスタイルマガジン”。辻編集長のインタビューはこちら

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