辻仁成「太く長く生きる」(44)「墓はどうする?」

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辻38回目写真

「健康のために、家の周辺を少しだけ走っています。無理しない程度に。」

 

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 死んだら墓に入る。これが人間における一般的な死後の姿です。小生は幼い頃よりこのことに疑問を抱いておりました。そして最近になって、死んだら自分の遺灰は海にいてほしい、と明確に思うようになったのです。ここに至るまでには長い道のりがあります。15年前、ギリシャのサントリーニ島に取材に行った時、散骨をする人々を目撃します。鏡面のような波一つ立たないなぎの海に囲まれたサントリーニ島はまさに死後の世界への入り口のような、まるで天国をそのまま描写したかのごとき場所でした。小生はここを舞台に「クロエとエンゾー」という作品を書きあげます。魂の出発地としてこの島をモデルにしたのです。最近の作品「日付変更線」ではハワイでの散骨の実情を取材し、冒頭は海への散骨シーンからはじまります。そこには自身の願望がかすかにあるようです。サントリーニ島は地中海の美しい海、ハワイはご存知ぞんじの通り、どちらもこの世の楽園と言われています。ハワイには散骨のための会社がいくつか存在します。死後、自分の骨を美しい海で撒いてほしいと思う人が少なくないということが分かります。

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 ちなみに私が暮らすフランスではもともと土葬が基本です。しかし、最近は50パーセントのフランス人が火葬を希望しているのだとか。2008年以降故人の遺灰を家で保管することは出来なくなりました。ただ、公道公園以外であれば(川は公道とみなされ不可ですが、海は許可)、しかも、法律に従っての散骨は許可されています。ただし、役所に届け出ないとなりません。火葬場に最大1年は保管できるそうですが、そのあと、親族が遺灰を取りにこなければ、決められた場所に埋められてしまいます。そこでいくつかの墓地では、遺灰を火葬場の敷地に撒くことができるようになりました。そこは「思い出の庭園」と名付けられています。フランス人と結婚した日本人女性が小生に語ったところによると、みんなが同じ場所に散骨するので、遺灰が混ざってしまい、ちょっと不気味だった、とか。国が違えば考え方も様々です。生前に本人が散骨の意思を手紙で残しておく必要があるようです。喪主がその手紙を持ってないと散骨は出来ません。私はここに記しておきます。息子よ、私の遺灰は海に撒いてくれ! 笑。

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 ところで、拙著「白仏」という作品は、実在した母方の祖父をモデルにしております。祖父は自分が生まれ育った島の墓を掘り起こし、数千体の骨をあつめて一体の坐像ざぞうを作りました。この骨仏は現在も筑後川の下流の川中島、大野島の勝楽寺にまつられています。はじめてこの仏像と対面した時に覚えた畏怖と圧力を忘れることができません。なぜ、祖父がそのようなことを思いついたのかは小説に譲るとして、祖父はそれが完成した日に、一緒に作った友人はその前日に、奇しくも他界し、二人ともその骨仏の中に吸収されています。このことをどう受け止めていいのかわからず、小生は一心不乱に「白仏」を書き上げることになります。その作品はフランスで出版され1999年にフェミナ外国文学賞を受賞しました。正直に申しますと、自分が書いたというよりもその数千の魂に書かされたという方が正しいかもしれません。うなされるように書き上げた作品は今も世界中で出版され読まれております。勝楽寺の住職に聞いたのですが、海外の読者が毎年のように勝楽寺を訪れるのだとか。祖父はなぜ、このような墓を作ったのでしょう。小生が自分の骨を海に散骨してほしい、と思うようになるバックグラウンドがそこにはあります。大野島のこの骨仏を見た時から私は「墓とは何か」と考えるようになりました。それは死者のためにあるというよりも、残された人々のためにあるものなのでしょう。

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 無縁仏を取材したことがあります。お参りをする親族もおらず、掃除もされない荒れ果てた墓を見るにつけ、私はますます、海への散骨を望むようになるのです。息子は彼が望むと望まないとにかかわらずフランスで生まれました。彼は生まれながらにフランスで生きる運命を背負ったのです。私が九州の一族の墓に入れば、彼は私に会うために一万キロを旅しないとなりません。しかし、海への散骨ならば、三時間で一番近い海に辿たどり着くことができます。それが息子にとって一番寂しくない手段だと私は気が付いたのでした。

今日のひとこと。 『人間は寂しくなると海に行く』

辻さんプロフィール写真2016年10月21日WEBマガジン用

辻 仁成(Tsuji Hitonari)
 東京生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。著書に『太陽待ち』『サヨナライツカ』『右岸』『永遠者』『クロエとエンゾー』『日付変更線』『息子に贈ることば』『パリのムスコめし』『50代のロッカーが毎朝せっせとお弁当作ってるってかっこ悪いことかもしれないけれど』『父 Mon Père』『エッグマン』など多数。近著に『立ち直る力』(光文社)。
 ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動する。現在は拠点をフランスに置き、創作に取り組む。パリ在住。映画監督・音楽家・ 演出家の時は「つじ じんせい」。

 2016年10月にウェブマガジン「デザインストーリーズ」を開設。デザインと世界で活躍する日本人の物語、生きるヒントを届ける“ライフスタイルマガジン”。辻編集長のインタビューはこちら

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