辻仁成「太く長く生きる」(43)「人間とはなんぞや」

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辻38回目写真

「切に生きる」

 

 ◇ ◆ ◇  

 今から10年ほど前に、比叡山のふもと、京都造形芸術大学の敷地内にある茶室で「人間塾」を開塾しておりました。ここでは30人ほどの塾生たちと膝を突き合わせて問答を繰り返していたのです。そもそも、きっかけは瀬戸内寂聴先生に「あなたは一度、延暦寺根本中堂に行きなさい。私がガイドをします」と勧められてのぼったことにはじまります。ところが当日、先生は風邪で、私一人が登山することになりました。根本中堂に着いてみると、住職さんが待っておられ、案内してくださいました。清風の流れるさわやかな場所でした。本堂で手を合わせますと、閉じたまぶたの中に黒い仏様が立たれました。慌てて目を開けると、そこには金の仏様しかおられません。隣にいた住職に、「黒い仏様が見えます」と伝えたところ、「それは元三がんざん大師に違いない」というのです。会いたいと伝えると「横川の修行場近くにお墓がある」と教えられました。早速、出かけました。すると、一帯は根本中堂とは全く異なる薄暗く悲しい場所でした。しかし、力があります。霊気というのでしょうか、周囲にものすごく強い気配を感じたのです。元三大師(良源りょうげん、912-985)のお墓は山奥の崖っ縁にあり、しかも敷地内には高木以外何もありません。ハサミをいれてはならない場所なので、千年の時間、伸び続けた数多の高木がそびえ、空を隠しておりました。ひざまずいて手を合わせると、再び黒い仏が現れました。そして、「下山したらそこに私塾を作り、問答をしなさい」と言われたのです。驚き、山を下りることになります。当時、京都造形芸術大学の理事長をされていた徳山詳直しょうちょくさんにこのことを話しましたところ、「上の茶室を貸すから、そこですぐに開塾しなさい」と言われました。徳山さんが「人間塾」と名付けてくれたのです。「人間とはなんぞや」という主題を塾生たちと問答し続けることになります。この私塾はしばらく続きましたが、現在は休塾しております。

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 さて、人間塾で私がやりたかったことは「学ぶということは上から知識を教えられることではなく、問答することによって自分を高めること」です。偉い先生方に高等な知識を教えられても、それを生かせないならなんにもならない。それが今の教育の一番の問題じゃないか、と思ったのです。そこで、私塾「人間塾」では、塾生たちが車座になり問答を繰り返しました。正直に申しますと、出来栄えはよくありませんでした。最初から問答できる人間などいないからです。しかし、その中で私はあることに気が付いたのです。「人間とはなんぞや」ということを常に心根に持って生きることが、この人生を乗り切るうえでとっても重要なことだ、と。

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 新刊「立ち直る力」(光文社)にも書きましたが、人間は、ふいに予期せぬ出来事に襲われることがあります。その時、人は右往左往しますが、つらい悲しい出来事に見舞われた時に、そこに何か意味があるに違いない、と思えるかどうかで困難を乗り越える速度がかわってきます。人間とはなんだろう、とつねに自問し探求しながら生きていると、自分に降りかかるすべての事象に対してそれが予防、あるいは訓練となります。何も考えずに生きていると、そうはいきません。何か意味があるに違いないと考えることで人はポジティブになれるもの。辛い時にこそ、人は前向きにならないといけません。なぜなら、前を向けば、辛く悲しい出来事はうしろになるからです。人間は前を向いて歩きます。それは転ばないために。「人間とはなんぞや」という自問は、いついかなる時にも役立ちます。この問いかけを持つか持たないかで、人生はかわってくると思うのです。「人間塾」はなくなりましたが、私は今も一人で問答を繰り返しております。息子を育てながら、真夜中のキッチンで翌日の食事の準備をしながら、「人間とはなんぞや」とつぶやき続けています。この訓練のおかげで、私は立ち直ることができたのです。

今日のひとこと。 『つねに自分と問答をやる。それはふいに訪れる困難への予防だ』

辻さんプロフィール写真2016年10月21日WEBマガジン用

辻 仁成(Tsuji Hitonari)
 東京生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。著書に『太陽待ち』『サヨナライツカ』『右岸』『永遠者』『クロエとエンゾー』『日付変更線』『息子に贈ることば』『パリのムスコめし』『50代のロッカーが毎朝せっせとお弁当作ってるってかっこ悪いことかもしれないけれど』『父 Mon Père』『エッグマン』など多数。近著に『立ち直る力』(光文社)。
 ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動する。現在は拠点をフランスに置き、創作に取り組む。パリ在住。映画監督・音楽家・ 演出家の時は「つじ じんせい」。

 2016年10月にウェブマガジン「デザインストーリーズ」を開設。デザインと世界で活躍する日本人の物語、生きるヒントを届ける“ライフスタイルマガジン”。辻編集長のインタビューはこちら

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