辻仁成「太く長く生きる」(41)「99才まで生きたあかんぼう」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

辻38回目写真

「人間は泣いて生まれてきて、笑うことを覚えるのです。」

 

 ◇ ◆ ◇  

 4年ぶりに舞台演出をします。前作が芥川賞受賞作の「海峡の光」で、よみうり大手町ホールのこけら落とし作品でした。こけら落としというのは一生のうちで何度も経験できることじゃありません。まっさらの劇場、しかもまだ完成前の劇場に下見で足を踏み入れた時のことが忘れられません。何も上演されたことのない劇場はまるで神聖なほこらのようでした。劇場には神がいるといいますが、まだ神が宿る前の本当に静かな伽藍がらんだったのです。それが初日を迎え満員の観客で埋まった時、そこに演劇の神様がいらっしゃるのを私は目撃しました。その時、ここにもう一度戻ってくることがあるならば、人間には見えない神様を描いてみたい、と私はひそかに誓っていたのです。

 ◇ ◆ ◇  

 その同じ会場で私は再び演出の陣頭指揮をとることになりました。原作は「99才まで生きたあかんぼう」(集英社文庫)。オギャーと泣きながら生まれた赤ん坊が、山あり谷ありの人生を駆け抜け、最終的に世界的な料理人となり、99才でこの世を全うするまでのお話です。この赤ん坊を神様がずっと見つめています。人間という生き物は生まれてから死ぬまで、ずっと神様に見られているのじゃないか、と私は物心がついた頃に考えました。自分が悪さをしようとすると、不意にどこからかこの尊い視線を感じ、戒められたからです。私が道を踏み外さず生きてこられたのもこの視線のおかげ。

 ◇ ◆ ◇  

 息子はカトリックの学校に通っておりますが、私には特定の宗教というものがありません。不思議なことですが、イスラム圏に行けばモスクを訪ね、フランスならばカトリック教会へ、日本では神社や寺に通い祈ります。なぜか、天で人間はつながっていると勝手に解釈し都合よく生きてまいりました。

 ◇ ◆ ◇  

 この赤ん坊は生まれた時から死ぬまで神様に見つめられます。神様にとってこの人間は最後まで赤ん坊なのです。そして、この赤ん坊は何度も地獄を見ますが、神様は手を差し伸べることをしません。ただ見ているだけ。その視線を観客が共有します。しかし、見られているということが大事なのです。免れない死に直面した時、この視線が救いとなります。いえ、なるだろうと私は想像しているのです。このまなざしとは何の比喩でしょう。いったい私はこの視線を通して何を描こうとしているのでしょう。

 ◇ ◆ ◇  

 これから演出の作業に着手しますが、その中で私は突き詰めたいと思っております。初日の幕が開くとき、必ず私はその視線の先に立つ人間の過酷で素晴らしき運命を描き切っていることでしょう。私はその瞬間、この作品を演出するためにきっと今日まで生かされてきたのではないか、と気が付くはずです。このなんの根拠もない思い込み、いったいどこから沸き起こってくるのでしょう。「根拠のない自信」なくして人は人生の荒海を乗り越えていくことは出来ません。実は、そういうお話なのです。

 ◇ ◆ ◇  

 原作の文庫版は見開き2ページごとに1才ずつが描かれておりまして、最後の見開きが99才という仕組みです。舞台の方はステージ中央に年齢を示す電光掲示板があり、およそ2時間で99年間を駆け抜けます。これを6人の男性俳優が演じます。歌舞伎と同じで女性役もすべて男性。私はこの作品を生まれてはじめてコメディーという手法で描くことにしました。

 ◇ ◆ ◇  

 人間の一生は喜劇が似合います。悲しいことが当たり前の一生です。こんなにつらい一生なのでこれ以上の悲劇を見る気にはなれません。そこで私は喜劇というスタイルを借り、はかない人間の一生を描き切ることにしたのです。6人の俳優たちが1人の男の一生を全身全霊で演じ切ります。よみうり大手町ホールの神様がそれをどこからかじっと見下ろしていらっしゃることでしょう。

今日のひとこと。 『人間になるために生まれてきたのだ。』

辻さんプロフィール写真2016年10月21日WEBマガジン用

辻 仁成(Tsuji Hitonari)
 東京生まれ。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。著書に『太陽待ち』『サヨナライツカ』『右岸』『永遠者』『クロエとエンゾー』『日付変更線』『息子に贈ることば』『パリのムスコめし』『50代のロッカーが毎朝せっせとお弁当作ってるってかっこ悪いことかもしれないけれど』『父 Mon Père』など多数。近著に『エッグマン』(朝日新聞出版)。
 ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動する。現在は拠点をフランスに置き、創作に取り組む。パリ在住。映画監督・音楽家・ 演出家の時は「つじ じんせい」。

 2016年10月にウェブマガジン「デザインストーリーズ」を開設。デザインと世界で活躍する日本人の物語、生きるヒントを届ける“ライフスタイルマガジン”。辻編集長のインタビューはこちら

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

辻仁成「太く長く生きる」