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[元プロテニス選手 杉山愛さん]人生の優先順位をつける(中)流産、人工授精、体外受精・・・40歳で出産!

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結婚後、夫婦ですぐに検査

杉山愛(中)メイン_325_ver2

――結婚は36歳の時ですね。引退後の展開は早かったです。

 こればかりは、いくら自分が望んでもご縁ですからね。「ウィッシュリストに書いておけば必ず実現しますよ」などとは言えません(笑)。それでも、自分で「望む」「イメージする」って大切なことかなと思っています。
 現役を終えた当時は付き合っている男性はいなかったんですが、引退から2週間後に今の主人と出会い、2年弱お付き合いして結婚に至ったんです。

――結婚早々に、妊娠、出産を意識して、ご夫婦で検査を受けたとのこと。これは驚きました。

 36歳でしたから……。30歳代後半になると妊娠の確率も一気に下がりますからね。子供が欲しいご夫婦には、2人そろって医療機関でチェックすることをお勧めします。

――検査は夫婦一緒との意識は初めからあったんですか。

 ありましたね。すぐに子供が欲しかったですから。検査というと、気持ちが乗らないというか、荷が重いと感じたこともありました。そうは言っても、夫婦のどちらかに問題があれば、なかなか妊娠にまで至りません。きちんと現実に向き合うことが大切です。今は医療技術が進んでいるから、治療できるケースもありますしね。

――「いつかは子供を……」と考えながら、ずるずると時間が過ぎてしまって、気がついた時には妊娠が難しくなるパターンは少なくないですよね。杉山さんご夫婦が早めの検査を受けられたということは、本当に子供が欲しかったんですね。

 主人は、「夫婦2人だけの生活でも楽しいよね」とのスタンスでした。でも私が「やはり子供が欲しい」と言ったら、全面的に検査に協力してくれました。不妊の原因が男性にあるケースも多いですからね。女性のほうが負担が大きくて、男性ができることってあまりない。それだけに男性の協力が大切です。
 年齢に伴って妊娠率が大きく降下することも知らない人が多いですよね。

一度は流産。人工授精、体外受精へのチャレンジ

――妊娠しやすい体をつくる努力もされたそうですね。

 検査を受けた結果、主人にも私にも問題は全くなく、すぐに妊娠できたんです。ところが流産してしまって……。1か月ぐらいは落ち込みました。とはいえ、一度は妊娠したから、またすぐに出来るだろうと気楽にも考えていたんです。そこからなかなか妊娠しなかったんです。
 だったら、体質をもう一回見直そうと思いました。選手として体を酷使してきたので、もっと女性らしい体にしていこうと考えました。お母さんになるためには、もうちょっと脂肪をつけた方がいいのかなと考えたり。ほかにも、積極的に体を温めたり、「気の巡り」を大切にする東洋医学的なことも取り入れたり。

――具体的にどういうことをされたのですか。

 食べ物に気をつけたり、ビワの葉のおきゅうをやってみたり。自覚はなかったのですが、以前、下半身が冷えていると指摘されたことがありました。それは選手時代には問題はなかったのですが、引退してからは自分でもそう感じるようになりました。 
 それに現役引退後にはすっぱりとスポーツから遠ざかっていたので、ベリーダンスを始めました。

――そんな努力をしても、なかなか妊娠せずに、4回も人工授精に挑戦されたと聞きました。

 一度、妊娠した経験があるので、どこか楽観的に考えていた部分もありました。ところが、それ以降は自然に授かることなく、37、8歳になっていたので、人工授精をやってみたのです。結果的に効果がまったくなかったので、体の負担よりも、精神的なダメージが大きかったです。

杉山愛(中)サブ_re

――そして、今度は39歳のときに体外受精に成功されて、無事に授かることができました。自分では最後の挑戦というイメージだったのですか?

 人工授精でも妊娠しなかった時は、神さまから「夫婦2人で歩んでいけ」とのメッセージかなと受け取っていた時期もあったんです。
 もうあきらめかけて、母に相談したら、「あなたらしくない。できることを最後までやってみればいいじゃない」って言われて、現役時代のスランプの時と同様に「まだ、やり切れていない」と自分でも気がついたんです。
 そこで最後の体外受精に踏み切りました。うまくいかなかったとしても、「やれることはすべてやった」と思うことができますが、あきらめてしまったら、やり切ったことになりません。
 主人はというと、それまで何度も私ががっかりしている姿を一番近くで見ていたために、体外受精をあまり強くプッシュはしませんでした。

――成功してよかったですね。不妊に悩む人が大勢いますが、不妊治療は肉体的、精神的、経済的にも大変な負担です。

 本当に大変です。不妊治療のクリニックに行った時、「ああ、こんなに大勢の人が不妊に悩んでいるんだ」との現状も目の当たりにしました。みんな闘っているのですが、そんな姿に勇気をもらうこともできました。

苦難を経て40歳で出産

――出産されたのは、40歳と3日目だったとか。

 本当は30歳代で出産したかったのですが、結果的に40歳代の人にも元気を与えられたように思います。

――流産や不妊治療、それに前回話していた選手時代のスランプへの対処もそうですが、杉山さんは、気持ちの切り替えが非常にうまいですね。

 いやいや、今だからこう言えていますが、決して簡単なことではなかったです。
 選手時代には、年齢を重ねるごとに気持ちの切り替えはうまく出来るようになっていきましたが、妊娠に関しては別でした。失敗すれば落ち込みますし。流産した時も1か月ぐらいどんよりした雲の中にずっといるような気分で、「何がいけなかったんだろう」などと自分を責めたこともありました。
 年齢的なリミットを考えると焦りも出てきます。不妊と闘っている人たちは時間との勝負だから、時間が過ぎれば過ぎるほどゆったりと構えてなんかいられない。もう本当に必死でした。

>>[元プロテニス選手 杉山愛さん](下)毎日が「ワーク・ライフ・ハーモニー」

杉山愛プロフィル写真200

 杉山愛【すぎやま・あい】

 1975年、神奈川県横浜市生まれ。4歳でテニスを始め、7歳からプロを目指す。15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位。1992年、17歳でプロに転向。グランドスラム(GS、四大大会=全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)大会などで活躍、GSのシングルスでは2000年全豪、04年ウィンブルドンでベスト8入り。ダブルスでは00年全米、03年全仏とウィンブルドンで優勝を果たした。GSのシングルス連続出場62回は世界記録。プロテニス女子での自己最高ランキングはシングルス8位(04年)、ダブルス1位(00年、日本人初)。五輪にも4回連続出場した。09年、34歳で現役引退。現在はスポーツキャスター、コメンテーターとしてテレビなどで活躍。情報番組の「スッキリ!!」「情報ライブミヤネ屋」(日本テレビ系)などに出演中。また、自らが代表を務めるテニスアカデミー「パーム・インターナショナル・スポーツ・クラブ」などで、後進の指導にもあたっている。

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[インタビュー]Women’s Paths