私のエイジングデザイン

[タレント いとうあさこさん]人生って、タイミング(中)アラフォーでやっと「若手」の仕事が舞い込んだ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

子どもが欲しくて結婚したくなったけど……

「南ちゃん」ネタを披露するいとうあさこさん(当時)

「南ちゃん」ネタを披露するいとうあさこさん(当時)

――女性として子供を授かれるリミットに近い年齢で、「仕事だー!」って忙しくなっちゃったそうですね。

 そうなんです。42、3歳の時、とにかく子供が欲しくて結婚したいと思った時期があったんです。でも、39~40歳頃から急にお仕事で忙しくなっていって。それも、私は「若手」としてお仕事をいただくようになったんです。みんなは20歳ぐらいから仕事を続けてきて、40歳ぐらいになったら落ち着こうという時期ですよね。

――新体操の格好をして、「浅倉南、39歳。最近、なんだかイライラする」ってフレーズで人気が出た頃ですね。

 そうです、そうです。あの頃が当時の彼とのお別れの直後です(笑)。
 何かが吹っ切れたのか、40歳に近いという重みがそうさせたのか、やっていることは変わらなかったんですけど、急にいろいろなお仕事をいただくようになりました。天海祐希さん主演の「Around 40 ~注文の多いオンナたち~」(TBS系)というドラマが人気で、「アラフォー」という言葉が流行はやりだした頃でした。神様が「さあ、今、出なさい」とお膳立てしてくれたように感じましたね。

――人生って、タイミングなのかもしれませんね。

 結婚した人に「何で結婚したの?」と尋ねると、誰もが「タイミング」って言葉を使うじゃないですか。以前は「そんなの意味わからないよ」と思っていましたが、年を取ってきて、今では「いろんなことって、本当にタイミングなんだな」と実感するようになりました。

やりたかったのは、やっぱり喜劇

――少し時間を戻しましょう。バイト生活の後に芸能界に入ったわけですが、何がきっかけだったのでしょうか。

 小さい頃から、芸能界へのあこがれはあったんです。小学生の頃には、人気だったピンク・レディーさんが大好きでした。
 でも、「テレビに出たい」などと言うと怒られる学校でしたし……。
 その後、近藤真彦さんのファンになり、「マッチのお嫁さんになるために、私も同じ仕事につくんだ」と、「東大美少女コンテスト」や「ミスセブンティーン」などにも応募しました。いまだに返事が来ていません(笑)。
 心のどこかで、うっすらと芸能界への夢を追いかけていたんだと思います。18~19歳の時には、「やっぱり猫が好き」(フジテレビ系)という深夜ドラマにはまりまして。それに出演していた室井滋さんがすごく好きでした。実は、小さい頃から伊東四朗さん、いかりや長介さんのような、悲劇と喜劇の両方をこなせる役者さんってすごいなと思っていて。舞台をやりたいと思っていました。
 ただし、そんな思いはうっすらと持っていただけで、家出したのは、それが理由ではありません。
 そして23歳ぐらいの時、当時の彼の借金返済も落ち着いてきたので、夜学の専門学校に行ったんです。

――専門学校というと、お笑い芸人を育成する学校かと思ったのですが……。

 入学したのはミュージカルの専門学校でした。けれど、やりたかったのは、やっぱり喜劇だったんです。そこで学校の同級生と一緒にコンビを組み、2人でショートのお話を書いて、劇場を借りたりもしてみました。芸能事務所にも200通ぐらい御招待のお便りを出しちゃったりして。結局、お客さんはほぼ身内でしたが。
 ちょうどバラエティー番組の「ボキャブラ天国」(フジテレビ系)が大人気で、新しい芸人さんがどんどんテレビに出ている時代だったので、私も勘違いしたんですよ。「誰でも有名になれるぞ」と思って。
 初めてネタっぽいのをつくって、「ネタ見せ」と呼ばれるオーディションがあったので、参加してみたら、知らない芸人さんが100組ぐらいいて、みんなすっごいおもしろかったんです。

――お笑いの世界も裾野が広いですよね。レベルの高さに驚いた?

 はい。そんな簡単に売れるわけじゃないんだと1日目にして理解しましたね(笑)。
 でも、それがいい洗礼になった。大好きないかりや長介さんや伊東四朗さんは、お笑いの世界で頂点に上り詰めたから、悲劇を演じても素晴らしいんだと理解できました。それなら、ちょっとこの世界を突き詰めてみようかなと考えたのです。

――少し寸劇っぽい、シチュエーションコントのようなものをやっていたんですか?

 そうです。いわゆるコントでした。そのうちに相方は「自分はお笑い好きじゃないことに気づいた」って捨てぜりふを吐いてやめていきましたが(笑)。
 私がネタを書いていたんですが、やっぱりセンスが少し古かったと思います。その後に所属した今の事務所には、ウッチャンナンチャンさん、バカリズムさんたちのように、センスあるコントを得意にする先輩芸人さんがたくさんいます。
 それだけに、私のやっているコントが古かったためか、最初は厳しかったですね。今ほど女芸人の居場所みたいなものが認められていたわけでもなかったですし。「やっぱり女芸人なんてつまんねぇじゃん」みたいな雰囲気もあって。だから、自信も持てなかったのに、よくやめなかったなと思いますね。

ターニングポイントは自分の勘に任せます

――そんな中で、ご自身で模索して、変えてきた部分もあるのですか?

 いや、ただ続けるだけでした。なぜやめなかったのかが、自分でも理由がわからない。

 ――続けることで、現在の人気につながったわけですね。

 いやいや、そうでもありません。
 ただ、どんなことでも、自分の勘が働かないと動かないという性格なんです。直感とか霊感なんかはないですけど、すべてのターニングポイントの行動は、自分に聞くというか、勘次第みたいな意識があるのは確かです。途中でやめなかったのは、勘が働いたためかもしれません。
 もちろん、やめて何かやりたいことがあったわけでもありませんしね。
 今のように、いつもお仕事ができる状況になることなんか予想していなかったのに、「どうして続けてこれたん?」って、島田紳助さんに楽屋で問われたことがあったんです。

いとうあさこ2回目2・DSC_5046

――何て答えたのですか?

 「わからないです」って答えました。本当に売れるなんて思ってなかったのです。
 当時、むしろ心配だったのは、芸人をやりながら牛丼屋で深夜のバイトをしていたんですが、40歳を過ぎたら、重たい肉塊が運べなくなるだろうなってことです。
 若い時には、9キロもある肉の塊を2つ運んで、冷蔵庫に入れられたんですよ。冬の寒い日でも、半袖とキュロットだけで。体力的にそれができなくなると、このバイトは続けにくくなるなと。ほかの年下のバイトさんにしてみれば、40歳過ぎの女性が重たい肉を運びまくっていたら、むしろやりにくいだろうなという心配もありましたし。

 ――続けられるかどうか悩んだのは、そっちですか(笑)。

 そうなんです。だから不思議です。なぜ芸人をやめなかったのか。

 ――今やテレビに映らない日がないぐらい人気者です。続けてよかったですよね。

 「人気がある」と言われても、自分ではわからないです。ネットで調べると、やっぱりアンチの人もいますしね。でも、本当にありがたいです。
 地方へ行くと、おばあちゃんたちが気軽に声をかけてくれるんです。テレビの印象とあまり差がないからなのか、それとも実際に話をすると見たままの印象だからなのかははっきりしませんが、「思ったとおり丸いね」とか気さくに接してくれます。
 過去に付き合った彼氏のお母さんと、いつも異常に仲良くなっちゃうのと一緒で、そういう受けの良さにはちょっと気づいています(笑)。これはお笑いとは関係ないですけどね。

>>[タレント いとうあさこさん](下)「何もない」って、最高の幸運なのかも

いとうあさこプロフィール用写真-500いとうあさこ
1970年、東京都生まれ。私立雙葉高校卒業後、1997年に専門学校の同級生と「ネギねこ調査隊」を結成。2001年に「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の企画“電波少年的15少女漂流記”に参加。03年にコンビ解散後、ピン芸人「いとうあさこ」として活動を始めた。「エンタの神様」(同)では、ウクレレを弾きながらの自虐的な漫談。「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)では、1980年代のアイドルの細かすぎて伝わらないモノマネ。「爆笑レッドカーペット」(同)では、人気アニメ「タッチ」のヒロイン、南ちゃんのコスプレで自虐ネタを披露。「R-1ぐらんぷり2010」では、初の決勝進出を果たす。現在は、「ヒルナンデス!」「メレンゲの気持ち」「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)や「大竹まことゴールデンラジオ!」(文化放送)などにレギュラー出演中。6月19日(月)には東京都港区の草月ホールで単独公演『いとうあさこ20周年パーティー フルボディ~時の流れにまかせた身~』を開催する。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

[インタビュー]Women’s Paths