私のエイジングデザイン

[女優 南野陽子さん]50歳代は「セクシーに」(上)来た、来た!これが更年期?

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 さまざまな分野で活躍し、イキイキと自分を表現し続けるオトナの女性たちに、心と身体を美しく保つコツや、ライフデザインについて聞く「Women’s Paths」。
 初回は、トップアイドルから大人の女優へとしなやかに転身した南野陽子さんに、いつまでも変わらない輝きの秘密や、これからの年齢の重ね方について伺いました。(聞き手・本田麻由美、撮影・秋山哲也)
 ※Path=小道や細道のほか、人生の進路や歩くべき方向などを意味する。

20代後半に「どんな自分でありたいか」悩みました

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――芸能界デビューは18歳のときですね。アイドルとしては、スタートが決して早くはなかったそうですね。

 そうですね。当時もアイドルは中学生ぐらいで芸能界入りすることが多かったので、そうした女の子の中で、私はちょっとお姉さん格でした。同期のアイドルとは、あまり話ができなかったかもしれませんね。

――アイドルから女優へと、ずっと忙しい日々が続いてきたと思います。人に見られることを仕事にされてきましたが、10歳代や20歳代の頃と今では意識の変化などはありますか?

 私がこの世界に入ったきっかけはスカウトでしたから、もともと「あれがやりたい、これがやりたい」と芸能界に対する強い希望を持っていたわけではありませんでした。もちろん、人から見られることを意識なんかしていなかったです。当時はもっとぽっちゃりした、あまりぱっとしない女の子だったので。だから、デビュー後は、いきなり世界が変わったような気がしましたね。デビューが決まったとき、周囲の友達に「ナンノがデビュー?」「ナンノがアイドルになれるんやったら、私ら誰でもなれるわな」とか言われたほどでしたよ。

50日間で7、8キロ減量、「骨粗しょう症にもなってしまって」

――それは意外ですが、芸能界、とくにアイドルとなると体形などにも気を使わなければならないのだと思います。何かご苦労はあったのですか?

 当時、「デビューまでに5キロ痩せてきて」みたいなことは言われました。ただ、それを「今、自分を変えるときだ。変われるチャンスだな」と考えました。東京に行ってデビューするという新しい目標ができたことで、性格も前向きに変えられそうな気がしたんです。「きちんとした、優しい人でありたい」などの目標をもちましたが、同時に「ダイエットもしなきゃ」と考えました。

 これまでに、しっかりしたダイエットは2度やっています。デビュー時期の17、18歳のときと、AIDS(エイズ)がテーマの映画「私を抱いてそしてキスして」(1992年)の主演をしたときです。撮影期間が迫っていたこともあり、ほとんど何も食べずに、50日ぐらいで7、8キロ落としました。それで骨がもろくなる骨粗しょう症にもなってしまって。

――それは健康的なダイエットではありませんね。仕事の関係で体に負担をかけなければならないときもあったとは思いますが、活躍を続けるためには元気でいることも求められると思います。

 若い頃は、徹夜が続いても、厳しいダイエットをしても気持ちもカラダもなんとかなった。寝なくても平気とは言いませんが、とにかく「走れ、走れ」でした。仕事もうまくいっていたし、責任感も問われる。多くの人の生活やおもいも背負って走るのが日常でした。

 それが、20歳代後半になったときに「さあ、ここから自分をどうつくる? どういう自分になりたいか」を考え、悩みましたね。

――20歳代後半がしんどかったのですか?

 そうですね。時代が変わって、以前に比べて歌番組も減りました。その頃、私の場合は事務所からの独立が重なりました。

 きれいなドレスを着たアイドルが喜んでもらえる時代から、歌を聴かせる時代になってくると、もう「お呼びでない」みたいに感じたりして。仕事が少なくなったりした時期にはメンタルがきつかったですね。

 それに、女性は20歳代後半とか結婚適齢期がくると、ほかの女性との比較をするようになるじゃないですか。

――結婚とか、ほかの女性と比べちゃう?

 そうです。「誰々ちゃんはもう結婚した」「母親になった」とか。仕事の面でも「誰々ちゃんが一般職からどうなった」とか。そんな比較をしたり、されたりすることで、焦りを感じたこともありますよ。

 でも、40歳頃になると、精神的にはすごく楽になりました。どうあがいても自分は自分。自分にはこんなにだめな部分があるのだということが身をもって分かるようになるし。

 ――ご自分でだめだと感じたのはどの辺り?

 器用じゃないし、自信があまりなく途中で諦める。強がるけど怠け者なところも……(笑)。でもそんな自分を知って諦めると、人をとても理解できるし、甘えたり任せたりできるようになりました。

――それはいい諦めというか、ある種の踏ん切りがついたってことじゃないですか?

  その通りです。20歳代、30歳代って、いわば主役の年齢です。私が、という意味ではなくて、誰もが自分の人生の中で「主役」として生きている時期だと思うんです。それが40歳ぐらいになると、母親になっていたりして、主役の座は娘だったり、夫だったり。親の介護もあったりして、自分が人生の主役じゃなくなるのですよ。でも、そうしたとき、個人的には役者としてドラマに参加することが気分的に楽になりましたね。自分よりも若い人を思い切り盛り上げてあげよう、みたいな気持ちに変わりました。

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人との違い 認めてラクに

――気持ちが切り替えられたわけですね。

 人と自分の違いを認めて、ちゃんと許せるようになりました。

 それに、女性は体調的にも45歳頃でガラリと変わりますよね。私の場合、それまでは4年に一度ぐらいの頻度で加齢を実感していたのですが。「私はオリンピックとともに年を感じるな」なんて思いました。それが、45歳ぐらいになったとき、ガタンと何かが一気に変わった気がしました。

――どんな体調の変化を実感したのですか?

 いろいろですよ(笑)。やっぱり白髪、老眼、肩や背中の痛みなどが出てきますよね。日によっては更年期の入り口みたいな感覚もありました。気分が重い、頭痛がするなど、「なんとなく」の不調を感じるようになりました。

――なるほど。何かしら「もあ~ん」とする感じですね。

 でもね。そうはいっても、私はそれを楽しみに待っていた部分もあるのです。

――楽しみに待っていた、とは?

 もしかしたら私は変わっているのかもしれませんが、昔から年を取るのが嫌ではなかったのです。だから、「お、来た、来た!これが更年期か!」みたいな気分でしたね。老眼で目がぼーっとしたときは笑ってしまった。そう言うと語弊があるんですけど、「ああ、これが老眼か」と。「なるほど、ハイヒールが怖くなるという感覚はこれか!」みたいなね。そういうのが嫌じゃなかったです。

――何だか、オトナの余裕みたいなものを感じますね。

 更年期に限らず、誰もが年を取ります。そうなると、みんな若づくりというか、若ぶろうとして自分の過去のまねをする。でも、「いやいや、どうせだったら、未来のまねをした方がいいんじゃないのかな」と思っているのです。

>>[女優 南野陽子さん](中)年を取ることを楽しんだ方が生きやすい

minamino_photo200南野 陽子【みなみの・ようこ】
1967年、兵庫県伊丹市生まれ。1985年に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューし、「楽園のDoor」「はいからさんが通る」「吐息でネット」などでオリコンシングルチャート9作1位を記録した。女優としても、デビューと同時にテレビドラマ「時をかける少女」「スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説」に主演。これまで250作以上のドラマや舞台などに出演し、映画では「寒椿」「私を抱いてそしてキスして」(ともに1992)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、「三たびの海峡」(1995)で横浜映画祭助演女優賞を受賞した。2008年にファッションブランド「Actress Princess」を立ち上げた。2月に昨年のデビュー30周年記念コンサートを収録したBlu-ray&DVD「NANNO 30th & 31st Anniversary」を発売。5月から6月にかけて全国8会場で上演される「音楽劇 大悪名 ~The Badboys Last Stand!~」(http://www.co-colo.com/live/2017daiakumyou/daiakumyou.html)に出演する。
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[インタビュー]Women’s Paths