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<泉麻人のスマホで東京散歩>武家と商家の街のコントラストを眺める(東京・大手町~神田)

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 読売新聞が運営する医療・健康・介護サイト「ヨミドクター」では7月6日、健康ウォーク「泉麻人と歩く!東京名所」(NTTドコモ協賛)を行った。東京の街歩きの本を執筆しているコラムニストの泉麻人さん(61)が「武家と商家の街並みが垣間見える」という、東京・大手町と神田・神保町をめぐる約4キロの周回コースを選定、事前に応募したヨミドクターの読者ら20人と一緒に約2時間かけてゆっくり歩いた。参加者は自分のスマートフォンに、ドコモの歩数計アプリ「歩いておトク」を出発前にインストールし、泉さんの解説ポイントで立ち止まっては、計測した歩数を確かめながらウォーキングを楽しんだ。

泉さん先頭で、読売新聞東京本社からスタート

 これまで 東京スカイツリーから向島・浅草 や銀座をひとりで歩いてきたけれど、今回は応募されてきた読者ら約20人の皆様と、大手町から神田の 界隈かいわい をぐるりと散策した。

読売新聞東京本社(後ろ中央)からスタート。泉麻人さんが先導する

読売新聞東京本社(後ろ中央)からスタート。泉麻人さんが先導する

参加者は事前に「歩いておトク」をインストールして歩数をカウントした

参加者は事前に「歩いておトク」をインストールして歩数をカウントした

 出発点はこのイベントを主催した読売新聞の東京本社。僕はかなりヘビーな箱根駅伝ファン(コースを踏破した「箱根駅伝を歩く」なんて本も書いています)なのだが、いまのビル横には箱根駅伝のスタート、ゴール地点にちなんだ像が置かれている。

有名な「平将門の首塚」の回りは高層ビル群

「平将門の首塚」(写真右)の前で参加者に説明する泉さん

「平将門の首塚」(写真右)の前で参加者に説明する泉さん

 それを横目でチラッと見て、皇居側に渡ると現在建て替え工事中の三井物産本社の一角に「平将門の首塚」が まつ られている。京都の三条河原で処刑された後、首だけ古里の東国(下総)をめざして飛んできた…なんてSFホラーめいた伝説でおなじみの史跡。ここだけ残して、やがて周囲に高層ビルが建つ景色を想像すると、よりいっそうファンタスティックな気分になる。ここまで、340歩。

関東大震災で焼け残った「震災イチョウ」のそばを通る

関東大震災で焼け残った「震災イチョウ」のそばを通る

 お堀端の道(内堀通り)を進んでいくと、気象庁前の左手に清麻呂公園というのがある。ここの主役はなんといっても和気清麻呂の銅像だが、もう一つ、歴史的に重要なイチョウの木がある。「震災イチョウ」と呼ばれている老木は、大正12年(1923年)の関東大震災の折、この近くに植えられていて、しぶとく焼け残ったもの。当時の中央気象台長・岡田武松の一言で保存されることになった。

 ところで僕は、気象予報士の資格などももつ「お天気マニア」でもあるので、向かいの気象庁には何度か立ち寄ったことがある(天気キャラのグッズなんかも売っている)。今回は散歩の資料に江戸時代後期の古地図も配布したが、当時、気象庁から西方の丸紅ビルのブロックにかけて存在したのが、一橋徳川家。そう、平川門を曲がった先の「一ツ橋」は、ここに由来するのだ。

「一ツ橋」近辺は一大学校地帯だった

 そして、いま東京・多摩の国立市にある一橋大学の名称も、同大学の前身「東京商業学校」が首都高の向こうの如水会館(同大学の同窓会館)のあたり、住所でいうと「千代田区一ツ橋」にあったことに由来する。ここまで、1715歩。

共立女子大学の前。このあたりから駿河台にかけて「一大学校地帯」だった

共立女子大学の前。このあたりから駿河台にかけて「一大学校地帯」だった

 いまも神保町側に共立女子大学(中学、高校も)があるけれど、明治10年(1877年)代頃は、錦町河岸にかけて「東京大学」と「学習院」も近くにあった。北方の駿河台と合わせて、一大学校地帯になっていたのである。

 この辺ではひときわクラシックな趣を漂わせた学士会館、一方最近の東京パークタワーの前を通り過ぎると、神保町の界隈。神保町の名は旗本・神保家に由来し、明治、大正あたりの地図を見ると、いま裏町めいた神田すずらん通りの南側が表神保町、靖国通りに面した方が裏神保町だったのだ。

「さぼうる」「ラドリオ」「ミロンガ」…古典喫茶が並ぶ路地

「さぼうる」や「ラドリオ」「ミロンガ」などの小さな古典喫茶が並ぶ路地

「さぼうる」や「ラドリオ」「ミロンガ」などの小さな古典喫茶が並ぶ路地

 近頃“観光路地”の雰囲気も出てきた、「さぼうる」や「ラドリオ」「ミロンガ」などの小さな古典喫茶が並ぶ路地を進んで、靖国通りに出てきた。古いつくりの店は減ってきたが、まだまだ古本屋街(もちろん一般書店も)は健在だ。そして、駿河台下へ近づくと、スポーツ店、楽器店が数を増す。古本、スポーツ、楽器……こういう店が集まったのも、学園施設が多い学生街のお膝元だったからなのだ。ひと昔前までは、もう一つ、 徽章きしょう やトロフィーを売る店が目についたものだが、近頃の学生はそういう学用系記念品に無関心になったせいか、めっきり減ってしまった。ここまで、2679歩。

靖国通りの街並みを説明しながら参加者と一緒に歩く泉さん

靖国通りの街並みを説明しながら参加者と一緒に歩く泉さん

「神田青果市場発祥之地」の前で

「神田青果市場発祥之地」の前で

「多町」には青果市場があった

 淡路町の交差点を過ぎて、一つ先の多町大通りを曲がる。「多町」を「タチョウ」と音読みするこのあたりは、江戸から明治、大正時代にかけて青果市場が存在した。数年前に閉業してしまったが、すぐ先の須田町交差点角にフルーツパーラーの「万惣」があったのも、その流れだろう。

いまはラーメンで知られる「栄屋ミルクホール」

いまはラーメンで知られる「栄屋ミルクホール」

 こちらは青果市場との関係はないだろうが、多町大通りをちょっと行った左手に“ミルクホール”の 暖簾のれん を提げた大衆食堂「栄屋」がある。緑青を吹いた銅板の壁が印象的な店は、昭和20年(1945年)の終戦の年の開業と聞く。いまはラーメンで知られる店だが、ミルクホールとはそもそも牛乳を売り物にしたカジュアルな喫茶店で、明治時代の後半に牛乳商(牧場も含む)が販売促進で始めたケースが多かった。

 この通りの正面には神田駅のホームが見えるが、途中を曲がって、庶民的な西口商店街から出世不動通りへ。

徳川家の鬼門除けとして祀られた出世不動尊

徳川家の鬼門除けとして祀られた出世不動尊

 神田出世不動…全国的には知られていないが、途中の内神田2丁目の一角に、徳川幕府の鬼門 けとされる小さなお不動様がある。出世と名がついたのは、力士が出世(番付アップ)祈願で訪れるようになったのが発端という。ここまで、7131歩。

 外堀通りに出て、鎌倉橋交差点の少し手前を右に入った所には、御宿稲荷神社という、こんどは小さなお稲荷さんがある。なんでも、徳川家康がまだ江戸城に幕府を開く以前に宿泊した家がこの辺にあり、それを後に稲荷として祀った所らしい。

オフィス街近くにある銭湯…皇居ランナーが汗を流しに来る

「大手町」のオフィス街近くにある「稲荷湯」

「大手町」のオフィス街近くにある「稲荷湯」

 さらに、すぐ奥の角に「稲荷湯」という銭湯がある。日本橋川の上にできた首都高の向こうは大手町だから、都心から一番近い銭湯、といってまちがいないだろう。こんなオフィス街でよくぞがんばっている…と思ったが、近頃は皇居ランナーたちが汗を流しにやってくるようだ。今回、湯に浸る時間はなかったけれど、大手町のラグジュアリーなホテルに部屋をとって、川の向こうのこういう銭湯にひとっ風呂浴びにくる…なんてのもオツかもしれないね。

 ゴールして歩数は、8625歩になった。

参加者の声

 東京都足立区の井口捷三さん(75)は「神田の図書館など今回のコースのあたりは、よく来ている場所なのに、泉さんの説明で、町名の由来など、初めて知ることができた。歩数計アプリ(歩いておトク)を見たら約1万歩で、歩く距離としてもちょうどよかった」と話していた。

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tokyo_00 泉麻人(いずみ・あさと) 1956年、東京都新宿区生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、テレビ雑誌編集者を経て、コラムニストに。主な著作に、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『80年代しりとりコラム』(ファミマ・ドット・コム)、『還暦シェアハウス』(中央公論新社)など。道を切り口に東京を歩いたエッセー「東京いい道、しぶい道」(中公新書ラクレ)が2017年4月に刊行。

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