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[神田陽子さん](上)講談界で女性の時代を築いた草分け 46歳で17歳年下の僧侶と恋に落ち憧れの結婚にたどりついたが

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 講談師の神田陽子さんは、もともと女優志望だったそうです。男の世界に飛び込み、つらい思いもしましたが、持ち前の頑張りで芸を磨き、女性講談師の草分けの一人となりました。女性陣の活躍もあって、今や講談師の半数以上は女性。私生活では30歳までに結婚の予定が、講談に夢中で結婚したのは46歳の時でした。女性講談師一代、講談や結婚について聞きました。(聞き手・渡辺勝敏、写真・秋元和夫)

役者ではうまい人に太刀打ちできない、一人で演じる講談へ

[神田陽子さん](上)講談界で女流の時代を築いた草分け 46歳で17歳年下の僧侶と恋に落ち憧れの結婚にたどりついたが

――何がきっかけで講談の世界に入ったのですか。

 小学生のころ東映児童劇団に入っていたこともあって、役者になりたかったんです。日大芸術学部とか、演劇科のある大学を受験しましたが、全部落ちちゃって。それで翌年、文学座演劇研究所に入りました。文学座には田中裕子さんや富沢亜古さん、矢代朝子さんなどきら星のごとくうまい人がいました。私はひとつの役に入り込むのは性に合わないし、とてもお芝居じゃ太刀打ちできない。

 そんな時に伯父から講談の「レ・ミゼラブル」のカセットテープをもらいました。少女のコゼットからジャン・バルジャンまで一人で演じ分けていてすごい。これが、師匠の神田山陽で、弟子入りしたいと思いました。

――入門された1970年代の末というと、男性講談師がほとんどの時代ですね。すんなり受け入れてもらえましたか。

 そのころ講談界は低迷していて、「斜陽の芸」って言われていました。山陽師匠は何とかしなきゃいけないと思っていたそうで、当時、将棋界も似たような傾向があったのが、女性棋士が増えてテレビで取り上げられたりして、盛り返すのを見ていたんですね。「講談も女性だ」と考えている時にたまたま私が飛び込んできた、というわけです。師匠は、女性が来たら自分から1字を取って、「陽子」と名付けると決めていたそうで、私が陽子になりました。

先輩講談師たちからは「講談はお嬢ちゃんのお稽古事じゃない」と言われ

――修業は大変でしたか。

 当時の講談の世界は封建的で、「俺がやってんの3べん見ただろ、やってみな」という感じが普通だったんです。弟子に「教える」っていうことが頭になかった時代に育ってきた人たちですから。ところが、山陽師匠は、ていねいに教えてくれるんですよ。テープに録音させていただいて、テープ起こしをして。「それはこういうふうに言うんだ」「手つきはこうだ」「こう振り返って」とか、5時間ぐらいかけて。食堂に行くと、ほかの師匠たちは、自分が天ぷらそばを食べても、弟子はかけそばという感じですが、うちは同じものを食べさせていただきました。山陽師匠のところには女性がどんどん入ってきましたが、私たちは幸せでしたね。

――山陽師匠の人柄もあって、芸を身につけるにはとても恵まれていたわけですね。

 よく指導していただいて、3年で二ツ目、9年で真打ちに上げていただきました。だけど楽屋とかにいると大変ですよ。ほかの講談師からは「講談はお嬢ちゃんのお稽古事じゃないんだ」と言われ、「師匠の女だろう」なんて、師匠の人柄からはありえない陰口も。私たちばかりじゃなく、女性を積極的に弟子に取った師匠への風当たりも強かったんです。山陽の一門会を開くと、お客さまがたくさん入りました。上野動物園でパンダの人気が高かったので、人寄せに女を集めた「パンダ山陽」だって。悔しい思いもしました。でも、今はみなさん女性のお弟子さんをとっていますよ。

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