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[白都真理さん](下)いとこの杉田かおるさんの影響もあって女優に…主演作は福島原発事故で脚光
白都真理さんは24歳の時、映画「人魚伝説」で主演を務めました。夫を殺され復讐する海女の役でしたが、監督の求めに応じて「濡れ場」も経験。つらい思いもした撮影でしたが、女優としての評価を上げるきっかけになりました。今は、鎌倉の自宅で悠々自適の日々を送っているといいます。これまでの人生について語っていただきました。(聞き手・渡辺勝敏、写真・秋元和夫)
ミスユニバース関東代表に選ばれてドラマデビュー
――女優になろうと思ったのは、いとこの杉田かおるさんの影響もありますか。
元々芸事が好きだったのですが、福岡に住んでいた中学生の時、夏休みに東京に遊びに行って、かおるちゃんの撮影現場に連れて行ってもらって、興味を持ったということはあります。それに福岡に来るミュージカルやお芝居をよく観ていて、私は背が高いので、舞台が向いていると思っていました。高校は進学校だったのですが、女優になろうと決めて、放課後に塾には行かず、「鶴田バレエ音楽学院」という学校にも通いました。梓みちよさんや小柳ルミ子さんを福岡から宝塚に送り出したところです。高校を卒業して、東京の桐朋学園芸術短大演劇科に進んだのも夢をかなえるためでした。
――1979年放送のNHK大河ドラマ「草燃える」でデビューすることになったのは、どのようなきっかけですか。
デビューのチャンスをつかまなければと考えてミスワールドの代表になった先輩がいたので、私はミスユニバースに出て、関東の代表に選ばれました。その審査員に芸能関係者がいて、声をかけていただいたのがきっかけです。マネージャーの方がNHK大河ドラマで源頼家役の郷ひろみさんの相手役を探していることを聞きつけ、直接面接に行って決まりました。山口百恵さんが引退されたので、百恵さんがやっていたシャンプーのCMもやらせていただきました。ドラマでは、お嬢様的な役とかお姫様、年の割には大人っぽく見えたので、教師の役も。念願の舞台も踏み、毎回大スターの方々と共演させていただけるお仕事が多かったです。
女優として順調にスタート、挑戦した映画「人魚伝説」
――そうした放送界全般での活躍が評価されて、デビュー翌年の80年には、ゴールデンアロー放送新人賞を受賞されたのですから、順調にスタートを切りましたね。
女優になるチャンスをつかんだわけですけど、役者としての経験は全くなかったので、当初は右も左もわからず、緊張しっぱなし。大河ドラマは、ベテランの方ばかり。リハーサルの時は簡単な説明があるんですが、本番で演技指導は何もないので、メイクと衣装をつけていても、お芝居になっているのかどうか自分ではわからなくて、「これでいいのかなあ」と不安ばかりでした。
――女優としてのキャリアを重ねていた24歳で主演したのが映画「人魚伝説」。夫を殺された海女の復讐劇ですが、濡れ場も含めて後半は壮絶なシーンの連続です。ヨコハマ映画祭や湯布院映画祭で主演女優賞を受賞した白都さんの代表作ですね。どうしてそれまでのイメージを壊すような作品に出演したのですか。
きれいなお嬢さんとかお姫さまの役だけじゃなくて、本物の女優として評価されるような役柄もやっていかなくては、という考えがありました。台本と原作の劇画は読みましたけど、台本に細かくは書いてないし、こんな作品になるなんて思ってもみませんでした。監督が作りたい映画を作らせようという映画会社ATG(日本アートシアターギルド)と、若手の監督やプロデューサーが、作りたい映画を作ろうと設立したディレクターズカンパニーという会社の第1作で、スタッフはみんな若くて情熱にあふれていて、私にとっては限界を超えるくらいのものすごい試練でした。
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