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医療・健康・介護のコラム
[白都真理さん](上)祖父母から亡くなったと聞かされていた母は生きていた…高齢になって呼び寄せると、ストレスから心臓発作に
NHK大河ドラマ「草燃える」でデビューした白都真理さんは、数多くのドラマや映画、舞台に出演し、女優として活躍してきました。30歳代後半では、ロサンゼルスに拠点を置いてハリウッド映画に挑戦。帰国後は、バーラウンジの経営などもしてきました。今は、母親の介護を担っていますが、子どもの頃は「両親は亡くなった」と聞かされ、祖父母に育てられたそうです。そのいきさつや母との暮らしについて聞きました。 (聞き手・渡辺勝敏、写真・秋元和夫)
出生後2週間で父は交通事故死、3歳で母は里帰り中に亡くなった…
――ご出身は福岡県、幼少期は中央部にある飯塚市で、洋裁学校を営む祖父母に育てられたそうですね。
父は7人きょうだいの長男で洋裁学校の跡取りでした。ところが私が生まれて2週間後に交通事故で亡くなりました。母については祖父母から、「真理ちゃんが3歳の時、実家に帰っている時に亡くなった」と聞かされていました。
両親がいなくても、大きな木造校舎と隣接する家には、叔父や叔母、住み込みのお手伝いさんたちもいたのでにぎやかでしたよ。ピアノやバレエなどの習い事や興味のあることは何でもやらせてもらいました。祖母にはちょっとスパルタなところもありましたが、祖父は心優しい人でした。両親がいないことを引け目に感じないように育ててくれたと思います。
――お母さんが生きていると知ったのは、いつのことですか。
小学校6年生の時、担任の先生から聞きました。祖父母は私に隠していたわけですから、事情も先生が説明してくれました。母は父が亡くなって嫁ぎ先にはいづらかった。元々女子大の先生をしていたので、自立することもできるし、若かったから再婚のチャンスもあるけど、その当時は子連れでは大変でしょ。それに母が生きていると知ったら、私が会いたがると。だから母のためにも亡くなったことにしていたと言うんです。母の生活も落ち着いたので、私が中学生になるタイミングで、やはり引き取りたいと言ってきたということでした。
母が生きていると聞いて、涙がとめどなく流れたのを覚えています。死んだはずの人が生きていた……私にもお母さんっていう人がいたんだ……。単純にうれしいっていうんじゃない。今まで知らされていなかったことが悲しいのでもない。もう6年生ですから、祖父母や母、それぞれの立場もわかります。なんだかわからない大きな感情が爆発しました。
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