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医療・健康・介護のコラム

[菅原洋一さん](下)18で旅立った孫の枕元で歌った「花は咲く」 自分が生きているのは「まだ修行が足りないから」

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タンゴ喫茶で歌い始め、妻と出会う

[菅原洋一さん](下)18で旅立った孫の枕元で歌った「花は咲く」 自分が生きているのは「まだ修行が足りないから」

――結婚は「知りたくないの」がヒットする前でしたね。

 妻との出会いが面白いんです。僕がタンゴ歌手になって、タンゴ喫茶で新人歌手として歌い始めていた頃、お母さん世代の方と一緒に来て真剣に私の歌を聞いている若い女性がいました。いつもとは違う客層のその子が気になり、リクエストタイムの時にその若い女性に「何か聞きたい曲はありませんか?」と尋ねてみたところ、ペレス・プラード楽団のヒット曲「ある恋の物語」をリクエストしてくれて、それを僕が歌いました。それがきっかけで、応援してくれるようになったんです。彼女が18、僕が25、恋の始まりでした。

――最初は歌手とファンの関係だったのですね。

 ファンというよりも、僕は妹がほしかったので、かわいい妹みたいな気持ちでしたね。それがどういうわけか、2人とも兄と妹から恋人になり、結婚を意識するように……。

 運命というのはあって、自分の一生というのは定められているんですよね。今90になって振り返ると、あんなこと、こんなこと、いろんな出会いがありました。みんな思い出。それもいい思い出しか思い出せない。幸せですよね。

――今は息子さんが同じステージに立つことも多いようですね。

 息子は高校卒業後に、音楽で人の心を治療する方法を探求したいと単身渡米しました。大学では心理学と音楽を専攻、その後、月日を経て作業療法士の資格を習得し、帰国しました。その息子が私の77歳、喜寿のお祝いにと曲を書いてくれて、いいメロディーだったのでぜひ歌にしたいと思い、すでに小説家として売れっ子になっていた、なかにし礼さんに作詞をお願いしました。

 「作詞はやめたんだ」と言われましたが、経緯を話すと「長い付き合いだから一曲作ってみましょう」ということになり、電話でやりとりする中で「人生のいい思い出って何だろう」「やはり恋だろう。そういう歌にしよう」ということで、年齢を重ねた男性の美しき人生の思い出の一曲「ビューティフルメモリー」ができました。それを今でも時々、息子とデュエットして歌っています。

――親子で歌うのは励みになりますね。娘さんとは?

 娘は子供の頃、僕と一緒によくテレビ出演していて、コマーシャルにも出ていました。娘の結婚式では「庭の千草」を僕が歌った思い出がありますね。

18歳で亡くなった孫の枕元で歌った「花は咲く」

――お孫さんを亡くしたのは大変つらいことでしたね。

 それがショックでした。頭のいい、かわいい孫で、小児脳幹部グリオーマという脳腫瘍でした。18まで生きて、亡くなる前は身動きもできず、ベッドで寝たきりのとき、もう最期だということで、枕元で「花は咲く」を歌ってあげました。体は動かないけれど、目だけが動いていました。聞こえていたんでしょう。「これから生まれ変わって、いい人生になるように」という思いを込めて歌いました。それが「花は咲く」という歌の思い出です。

――闘病期間は長かったですか。

 余命半年と言われましたが、10か月の闘病生活でした。徐々に体の自由が利かなくなり、高校の卒業式では友人にすがっていて、とても痛々しかったですね。

 悲しい思い出ですが、人生って何だろうと思うと、修行の場であって、つらいこともあって当たり前。ここまで自分が生きているのは、まだ修行が足りないから、だからもっと世の中のために修行しろ、そういうことだと思います。

 孫はいい子でしたからね、18年の短い間にいろんなことに挑み、学び、人生を全うしたと僕は思っています。お葬式には友人が何百人も来ていました。ぼくの時よりも多いんじゃないかな(笑)。孫は幼いながらも徳を積んでいたから、それだけ集まったのでしょう。

 徳を積むというのは、人に喜ばれることをするということ。僕は自己満足で歌いながら、皆さんに喜んでもらって徳を積んでいるのだから、なんていい人生だろうと思います。

――90代の歌手人生をどのように送りたいですか。

 いい伴侶に恵まれて、いいピアノの伴奏者にも恵まれて、自分なりに一生懸命歌って喜ばれる。そんな人生を、終わりは近いだろうけど、もう少し頑張ってみようと思います。転ばないように気をつけながら(笑)。つらいこともありますが、歌えること、聞いてもらえることがありがたい、という気持ちでいっぱいです。

菅原洋一さんフォトギャラリー(20代ごろ)

菅原洋一さん

すがわら・よういち
 1933年8月21日、兵庫県加古川市生まれ。1958年デビュー。1967年、「知りたくないの」が大ヒット、NHK紅白歌合戦に初出場し、以降22回連続出場。1970年、「今日でお別れ」で第12回日本レコード大賞を受賞。2018年、歌手生活60周年記念アルバム「歌い続けて60年 ~ふり返ればビューティフルメモリー」で第60回日本レコード大賞企画賞、2019年、文化庁より長官表彰受賞。2022年には日本歌手協会第1号の“名人賞”を受賞。そして90歳を迎えた今年、菅原洋一全曲新録音によるアルバム『ピアノと唄う愛の うた Ⅱ~90才の私からあなたへ~』を発売。生涯現役をモットーに人々に届く“心の歌”を歌い続けている。

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