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[鰐淵晴子さん](下)ウーマンリブの洗礼を受けた写真集に賛否…時代を超え女優として生きてきた
オーストリア人の母と日本人バイオリニストの父の家庭に生まれた鰐淵晴子さんは、幼いころから父と「天才少女」としてバイオリンの演奏で全国を回り、10歳で映画デビュー。それから多くの映画やテレビドラマに出演し、女優として生き抜いてきました。一度は名家に嫁ぎましたが、一転、アメリカの女性解放運動やベトナム戦争反対運動の熱気の中で撮影した生涯一度の衝撃的な写真集が賛否両論で注目を集めたことも。女優という仕事、出産や子育て、家族への思いなどを聞きました。(聞き手・渡辺勝敏、写真・秋元和夫)
離婚に悩み渡米、ヒッピー運動などに刺激を受ける
――現在のセイコーグループ創業者一族の御曹司と結婚されて、離婚するかどうか悩んでいる時に祖父や留学中の妹がいるアメリカに行ったのが1968年。大きな時代のうねりを肌で感じたそうですね。
ロサンゼルスの空港から出ると、頭に花の冠をつけた人たちが座り込んで、マリファナを吸ってギターを持って歌を歌っているんですよ。異様な光景に、何この人たちって思いましたね。フラワーチルドレンと言いましたが、既成の価値観を壊そうというヒッピー運動の盛り上がりの最中でした。ウーマンリブ、ベトナム戦争の反対運動の熱気。ジャニス・ジョプリンとか、いろいろな人たちのコンサートも行きました。何が起こるかわからない。時代の節目に立ち会っているという実感で、とにかく新鮮。この刺激の中に身を委ねてみようと思いました。
――再婚することになる写真家のタッド若松さんとロサンゼルスで出会って、アート写真として現在も評価されているヌード写真集の「イッピー・ガール・イッピー」を1970年に発表されました。
妹に誘われて日本のCM撮影を見に行って、そこで撮影をしていたタッドと出会いました。お付き合いを始めてしばらくして、タッドがいるニューヨークに行きました。摩天楼の谷間で私をモデルに撮影して発表しようという話になったんですけど、私がお洋服を着て傘をさしてにっこりしていてもつまらない。着ているものを全部はぎ取って、空に向かって拳を突き上げているような強い女としてビル街にポンと立ちたい。そんなふうに表現したいっていう話になっていきました。イッピーというのは、ちょっとインテリのヒッピーみたいな意味で使われていた言葉です。あの時代だから、私もイッピーガールになれたんですよ。
写真集刊行で両親は家に上げてくれず
――写真集はまさにあの時代のアメリカの空気をよく伝えていますね。
日本に戻ったら大騒ぎになるだろうなとは思ったんですが、私としては、ウーマンリブを意識した女性像をニューヨークのビルを背景に表現したかったし、タッドはいい写真を撮ったので、後悔はありません。出版して、東京のデパートで展覧会を開きました。この時代を表現した優れた写真だと言ってくださる方もたくさんいたんですが、女優がなんていう写真集を出すんだと反感も買いました。やっぱりとんでもないことをやったとも思いましたね。アメリカには2年ぐらいいたんですが、両親とは大げんかになって勘当状態。一歩も家にあげてくれませんでした。それでもタッドと結婚して子どもができたら両親との関係は戻りました。
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