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医療・健康・介護のコラム

[鰐淵晴子さん](上)天才バイオリン少女、10歳で映画デビュー、御曹司と結婚…衝撃的な写真集も

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10歳の映画主演、言葉をあまりしゃべれなかった

[鰐淵晴子さん](上)混血の天才バイオリン少女、10歳で映画デビュー、良家の御曹司と結婚…渡米して一転、離婚、衝撃的なヌード写真集刊行

――10歳の時に「ノンちゃん雲に乗る」という石井桃子さんのファンタジーを原作にした映画に主演。母親役は原節子さんでしたね。映画出演はどのような経験でしたか。

 実は、そのころ言葉があまりしゃべれなかったんですよ。うちでは日本語とドイツ語が半々。母の日本語は片言で、学校に行くのも週1、2回。母と過ごす時間が長かったので、言葉の発達が遅かったんですね。日本語を少しは読めたと思いますが、セリフにならないんです。「『お母さん』とどなるように」と言われても、うちは「ママ」ですからお母さんなんて言ったことはないし、どういうどなり方をすればいいのかわからない。お芝居にならないんです。言葉の大家の徳川夢声先生も出演されていたので、何回か通って勉強させていただきました。セリフには苦労しました。

――英才教育は、音楽やバレエなどの芸能に集中していたわけですね。

 母は友だちと遊ぶことよりもバイオリンのレッスンの方が大切だと思っていたようで、言葉を身につける機会がありませんでした。毎日何時間も部屋に閉じこもって練習しないとうまくならない。バイオリンって本当に大変です。子どもとしてギリギリのところまで追いつめられていましたが、バイオリンは確かにうまくなったと思います。でも、今だったら問題になるような虐待に近いものがあったかもしれませんね(笑)。

撮影現場の人たちは2番目の家族、言葉に自信もついた

――言葉の力が足りなかったとすると、映画の主演は大変なご苦労でしたね。

 でも、撮影現場は楽しいんですよ。「ノンちゃん、一人で靴はけるかい」「ここは泣くシーンだから大いに泣いて。僕たちがそばにいるし、大丈夫だから」……スタッフのみなさんがすごく優しくいろいろ声をかけてくれるんです。世の中には、こんな幸せな世界があるんだって、ノンちゃんで初めて知りました。

 撮影を通して、セリフが言える、私は言葉がしゃべれるって、自信も持てました。撮影の現場って2番目の家族みたい。その後たくさんの映画やドラマに出演しましたが、その思いは変わりません。みんなでいいものを作ろうという思いを共有して、撮影期間の2、3か月を一緒に過ごす家族。ノンちゃんは新しい世界へのスタート地点でした。

徹夜続き、ふっと食堂のおばちゃんの腕で居眠りが幸せ

――その後、松竹と専属契約を結んで、10代から20代の始めにかけて、たくさんの映画で主演を務めてきましたね。バイオリンをやらせたかったご両親は納得してくれたんですか。

 母は自分が女優になりたかったくらいですから、娘が女優になるのは大賛成でした。表現する人になってほしいというのが母の気持ちでした。そのころ父と話し合いました。「本気でバイオリニストになるなら、映画の仕事はもうやめなきゃ。どうする?」と言われて、苦しんで悩んだんですけど、「映画は楽しくてやりがいがあるから、申し訳ないけど、映画をやらせてください」と伝えました。バイオリニストへの道はそこまでです。その時の父の胸の内を考えると涙が止まりません。

――幼い時はバイオリンで忙しく、中高生の年代になると映画で寝るまもない忙しさ。つらくはありませんでしたか。

 多い時には2、3本掛け持ちで現場を移動するような忙しさでしたね。「伊豆の踊子」と、冬季五輪金メダリストで俳優のトニー・ザイラーさんと共演した「銀嶺の王者」とか。食堂でいすに座った時にふっと寝てしまうことがあって、そんな時、食堂のおばちゃんがさっと腕で支えてくれるんです。徹夜続きの合間の5分間の幸せ。食堂のおばちゃんのあの腕の支えが優しくて気持ち良かったなぁ。小さなことのように思われるかもしれませんが、私にとっては大切な思い出で、60年余り前のそんなひと時をよく覚えています。

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