わたしのビタミン
医療・健康・介護のコラム
脳梗塞になり「JAPAN」のスペルさえ浮かばない…翻訳家が言葉を取り戻すきっかけにしたもの
自身も負った「失語症」の人向けに朗読教室を開く…石原由理さん
病気やけがで脳の一部が傷つき、言語機能に障害を負った「失語症」の人向けに、朗読教室を開いています。7月に教室のメンバーらによる初公演を行います。
失語症になると、言葉によるコミュニケーションが難しくなります。「リンゴ」と聞いても意味が理解できない、頭に思い浮かべても言葉として発せない、「ミカン」などと別の言葉を口にしてしまう――。症状や程度は様々です。
私自身も10年前、脳 梗塞 の後遺症で失語症になりました。倒れた当時は40歳代後半。海外の演劇作品を日本語に訳して台本を書く「戯曲翻訳」の仕事で実績を積み、大好きな演劇をもっと学ぼうと、大学院に入学したばかりでした。
プロの翻訳家だった自分が失語症になる――。その衝撃は計り知れないものでした。「いらっしゃる」と書きたいのに、何のひらがなをどの順番でつづればいいのか分からない。得意だった英語も「JAPAN」のスペルでさえ浮かんでこない。惨めでした。
「一生このままだったらどうしよう」「翻訳の仕事はもうできないかもしれない」――。自分にいらだち、焦りました。教授の勧めで何とか復学した大学院に週1回ほど通う以外は、ほとんど自宅にひきこもる生活でした。
文献資料を読んでまとめたり、修士論文を書いたりすることで、だいぶ回復しましたが、今も言葉が出てこない時があります。右半身にまひも残ります。
転機は、自宅近くのカルチャーセンターで開かれた朗読教室に参加したことです。「言葉を通して、見えない世界を想像するのはなんて楽しいんだろう」と、とりこになりました。文章を見て意味を理解し、声に出して読み、耳で聞く。こうしたことを同時にこなす朗読は、失語症のリハビリにもぴったりに思えました。
ただ、健常者の中では緊張して、言葉に詰まることもありました。そこで2021年暮れ、失語症者のための朗読教室を始めました。
月に2回、オンラインのレッスンには、失語症や高次脳機能障害などがある9人が参加しています。リハビリの専門職である言語聴覚士から教わったことを基に、舌や口の運動、発声練習などもしますが、私が大切にしているのは、物語を「深く読むこと」です。
どうしてこのセリフを言うのか。背景に何があるのか。参加者に問いかけ、みんなで話し合います。ただきれいに読めればいいのではなく、「どう読めば伝わるか」を意識することで、コミュニケーションの力も取り戻していけると思っています。
初公演は、私たちの朗読教室を舞台にした、メンバー同士のきずなや私自身の回復の物語です。脚本は私が書きました。失語症のことや、当事者がどんな生活を送り、何に困っているかを、多くの人に伝えたいと思っています。(聞き手・小沼聖実)
いしはら・ゆり 愛知県出身。演劇の仕事と失語症当事者としての経験を生かし、東京都内で「失語症者のための楽しい朗読教室」を主宰。7月1日、朗読群像劇「言葉つなぐ 明日 へ~語れぬ者たちの朗読教室物語~」を都内で公演する。問い合わせは、一般社団法人「ことばアートの会」へ。
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