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[岡村孝子さん](下)「夢をあきらめないで」は意地を張って見送る失恋ソング…「待つわ」は遠距離の彼氏に宛てた歌
大学生の時に女性デュオ「あみん」としてデビューしたシンガー・ソングライターの岡村孝子さん。「待つわ」が大ヒットし、ソロとなってからも「夢をあきらめないで」など多くの人に愛される歌を生み、40年以上、第一線で活躍してきました。2019年に突然、10万人に2人という急性骨髄性白血病を発症しましたが、5か月の入院を経て回復。元気に音楽活動を再開しています。「OLの教祖」と言われた時期を経て、“等身大の歌”を紡ぎ、強い支持を受け続けています。音楽人生を中心にお話を聞きました。(聞き手・渡辺勝敏、写真・コットンフィールズ提供)
作曲を始めたきっかけは、さだまさしさんの「雨やどり」
――音楽に目覚めたのはいつごろからですか。
小さいころは、周囲に男の子が多くて一緒に遊んでいたので、元気な子だったみたいなんですけど、引っ込み思案になってしまう出来事があって……。保育園の遠足の時に小川の前でしゃがんでいたら、後ろから女の子に突き落とされたのが、すごいショックでした。そんな時に音楽教室に入れられて、オルガンやピアノを始めました。みんなの合唱のピアノ伴奏を任されるようにもなって、音楽で自信をつけて回復してきた感じがしています。将来は、音楽の先生かなって思うようになりましたね。
――いたずらで突き落とされたのがきっかけで、シンガー・ソングライター、岡村孝子が誕生することになったわけですね。音楽の先生志望の女の子が、自分で曲を作り始めたのはいつごろからですか。
高校2年生の時にさだまさしさんのヒット曲「雨やどり」を聴いて、シンガー・ソングライターという仕事があると知りました。「私にもできるかな」と思って初めて書いたのが、「 琥珀 色の想い出」というあみんの2曲目のシングルになった曲です。
当時、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)が年2回開かれていて、それに合わせて半年に1曲書きました。グランプリになるとレコードデビューできるんですが、「琥珀色の想い出」は中部北陸大会止まり。もしかしたらプロになれるかなって思っても、そんな甘くはないって感じていました。1浪して入った大学生の時に、「待つわ」という曲ができて、大学で知り合った加藤晴子さんに聴いてもらったら「すごくいいね」ということで、2人でデュオ「あみん」として応募して、グランプリを受賞することができました。
「待つわ」で音楽番組総なめ、ただ忙しかった
――1982年に発売された「待つわ」は売上100万枚を超え、この年に最も売れたシングル曲になり、年末のNHK紅白歌合戦にも出場しましたね。シンデレラのようにデビューした当時を今はどう思いますか。
なんだか忙しくなりましたね。大学生活との両立で、大学は愛知県。授業を受けて、新幹線に乗って、東京に行って、あらゆると言っていいくらいテレビの歌番組に出て、新幹線やハイヤーで帰って、試験を受けて。私が思うシンガー・ソングライターと違うなぁって思っていました。私たちは、地道にアルバムを作って、ライブを重ねて徐々に知られていくといいねって始めたのに、「待つわ」がいきなりヒットして、何も考えられないまま終わっちゃったという感じでした。
――「待つわ」は、恋する相手が振られるまで待つというちょっと情が濃いところがある曲ですが、体験を下敷きにしたところはありますか。
浪人時代のボーイフレンドが遠くの大学に行って、遠距離になってしまったんです。でも、私はあまのじゃくなところがあって、素直に気持ちを言えなくて、本当は違うんだけど、私は私、あなたはあなたという距離を取っていた、というのが実際の体験ですね。ポプコンで全国の本選に入ると、「コッキーポップ」という全国的にネットされているラジオ番組で曲が放送されるので、その人に聴いてもらいたい一心で作った歌です。
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