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医療・健康・介護のコラム

[岡村孝子さん](上)白血病発症から4年 コンサートも再開…「60歳ってまだきっと先が長い」

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 大学生の時に女性デュオ「あみん」としてデビューしたシンガー・ソングライターの岡村孝子さん。「待つわ」が大ヒットし、ソロとなってからも「夢をあきらめないで」など多くの人に愛される歌を生み、40年以上、第一線で活躍してきました。2019年に突然、10万人に2人という急性骨髄性白血病を発症し、5か月の入院を経て回復。元気に音楽活動を再開しています。日々を大切にしながら活動する思いを聞きました。(聞き手・渡辺勝敏、写真・コットンフィールズ提供)

120%で頑張った後で白血病を発症

[シンガー・ソングライター 岡村孝子さん](上)白血病の発症から4年、コンサート活動も再開しているが、「5年たつまで先のことは思わず、1日いちにちを大切に」と

――2019年、新しいアルバムを発表して、植樹祭にご臨席する天皇皇后両陛下の前でテーマ曲を披露するというタイミングでの発病でしたね。

 それまでずっと元気で、発病前のツアーは魂が自分の中から出ていくような120%で頑張った感じでした。その後で「フィエルテ」というアルバムを何日も徹夜を続けるぐらい集中して制作して、全国植樹祭のテーマ曲「と・も・に」を天皇皇后両陛下の前で歌うことが決まっていました。すごく張り切っちゃって、どこまでも頑張れるって、体力を過信しちゃったのかな。そんな時に、歯茎が腫れて、小さな不調から始まって白血病の診断。あの経験から「120%はいけない。今は、102%ぐらいで頑張っていこうかな」と思っています(笑)。

――白血病の治療は19年4月から5か月間入院して、抗がん剤治療や 臍帯血(さいたいけつ) 移植を受けました。今振り返って、闘病で一番つらかったことは何ですか。

 病気になるまでは、普通に日常が続いていくと思っていました。私の仕事だと、コンサートをしてアルバムを作ることですね。それが、ある日突然、バーンとここで終わりみたいになって、最初は何も考えることができませんでした。治るかどうか、治ったとしてもどんな形で治るのかもわからない。当時、大学生の娘に迷惑をかけないように整理すべきこととか、自分がいなくなった後のことも考えました。

検査のたびに「生き延びた」

――治療自体もつらいものでしたね。

 大変だったのですけど、今はもうほとんど忘れてしまいました(笑)。当時のノートを見ると、耳鳴りや吐き気がジェットコースターのようだったとか、熱を出したり、全身がだるかったりしたことが書いてあります。それを読むと、二度とやりたくないと思いますね。今も定期的に検査を受けていますが、「大丈夫」って言われると、ああ、生き延びた。次の検査まで生きられる! そんな感じです。

――入院中は無菌室にいて孤独だったそうですが、闘病の励みになったのは何ですか。

 家族の支えとか、医療スタッフのみなさんがよく顔を見せて、暗い気持ちにならないように配慮してくださいました。リスナーの方が千羽鶴をたくさん送ってくれて、万羽鶴になって、一人じゃないんだなって思えたのも大きな支えになりましたね。暗闇の向こうに明るい白い光が見えるようで、そちらに向かって歩いていくというイメージで闘病していました。

 治療を終えてからのことですけど、私と同じ時期に白血病になった水泳の池江璃花子さんが元気で活躍しているのを見るとうれしいですね。

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