わたしのビタミン
医療・健康・介護のコラム
我が子は3人とも重症児 子と死のうと車で山道へ…崖から落ちる寸前、アクセルを踏むのを思いとどまらせたものは
重症心身障害児のデイサービスを運営する…紺野昌代さん(45)
重い知的障害と肢体不自由の両方を持つ重症心身障害児を対象にしたデイサービスを茨城県那珂市で運営しています。子どもたちは人工呼吸器やたんの吸引などが必要で、体調が急変することもあります。「あしたの保証」はないので、やってあげたいことは先延ばしにしないようにしています。
このような子どもたちの存在をもっと知ってほしい。重い障害があっても、生まれた地域で安心して暮らせるようにしていきたいです。
看護師として働きながら、3人の子どもを育てました。全員が重症児でした。長男の聖矢は、生まれつき脳の一部に異常がありました。長女の 蘭愛 と、次男の 愛聖 も同じ病気でした。
3人ともミルクをのみ込めない 嚥下 障害があり、呼吸が苦しくなることもありました。自分の意思で体を動かすことや会話はできず、表情で感情を読み取りました。できるだけ思い出をつくろうと旅行もたくさんしましたが、聖矢は2014年、13歳で亡くなりました。
デイサービスをやろうと思ったきっかけは離婚でした。先が見えず、蘭愛と愛聖を連れて死のうと思ったんです。16年のことでした。
山道に入り、アクセルを踏んだら崖の下に落ちるという場所に車を止めました。最後に2人の顔を見ようと振り向くと、愛聖が笑っていたんです。アクセルを踏めなかった。この笑顔を守らなければと思いました。
重症児のデイサービスは少なく、安心して預けられる所はありませんでした。そこで、「なければ自分でつくればいい」と決心しました。それからは無我夢中でした。スタッフ集めや事業所の場所選び、銀行から融資を受けるための手続き……。17年3月、どうにか事業所をオープンしました。
お母さんたちの支えになりたいとも考えています。
看護師生活のほとんどを小児専門の病院で送り、障害児を持つお母さんと接してきました。明るくしているけれど、実際には様々な葛藤があって苦しいんだろうなと感じてきました。私もそうだったので、よくわかります。
ここに子どもを預けている間、お母さんには自由に過ごしてもらいたいんです。美容室やマッサージに行くのもいい、ぐっすり寝る時間にしてもいい。お母さんに笑顔があれば、子どももうれしいですから。
蘭愛と愛聖は20年、事業所で仲間に見守られて亡くなりました。医療機器に囲まれた中ではなく、その子らしく最期を迎えられる場所があってもいいですよね。
今の事業所は18歳までを対象としているので、その先の居場所づくりをしたいと考えています。宿泊ができるショートステイや「こどもホスピス」も目標です。
いつも3人の子どもが背中を押してくれている気がします。目標に向かって歩み続けたいと思っています。(聞き手・小池勇喜)
こんの・まさよ 1977年、茨城県生まれ。看護師として18年間、病院で働く。2016年、一般社団法人「weighty」を設立し、同県那珂市で重症児デイサービス「kokoro」と「tsubomi」を運営。「全国重症児者デイサービス・ネットワーク」の副代表も務める。
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