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医療・健康・介護のコラム

[歌手 美川憲一さん](上)「落ちるところまで落ちたら上を見るだけ」 大麻所持で逮捕されても復活できたワケ

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 御年76歳となる今も輝き続ける歌手の美川憲一さん。歌手として活動する傍ら、SNSも使いこなし、幅広い世代から人気を集めています。複雑な生い立ち、逮捕と、その波乱万丈の半生についてうかがいました。(聞き手・山口千尋、撮影・小倉和徳)

産みの母、育ての母 2人の母に囲まれて

――19歳でデビューされてから今年で58年目になりますね。

 本当だったら世に出ない子だったのよ、私。だからしぶといのよ~。

 産みの母はお付き合いしていた男性との間に私を身ごもったんだけど、母が産むことを告げたら、男性は困った顔をしてね。ある日、薬を持ってきたの。「元気な赤ちゃんが生まれる薬だよ。今ここで飲みなさい」って。母はなんとなく嫌な予感がして「後で飲むから」と言って、薬だけこっそり流しに捨てたらしいわ。母が言うには多分それは劇薬で、赤ちゃんをおろすためのものだったんじゃないかって。その後、なんともない母を見て、男性は「飲んだ?」と不思議そうに何度も聞いたんですって。

――その薬が劇薬で、もしお母様が飲んでいたらこの世に生をうけていなかったのかもしれないわけですね。

 おなかが大きくなったら男性、つまり私の父にあたる人は家にこなくなったの。母は生まれた私をおぶって男性の家を探して訪ねたわ。大きなおうちでね。出てきた奥様に「既婚者とは知らずに子どもを作ってしまった」と告げたら、「うちのお父さんがごめんなさい」と土下座されたそうよ。ほんとドラマみたいよね。

 そうしたこともあってから、産みの母は肺結核になり、私は2歳から母の姉夫婦に育てられました。だから私には2人の母がいるの。たまに会いに来てくれる産みの母のことは親戚のおばさんだと思っていました。育ての両親のことは大好きだったから、本当の両親じゃないと聞かされた時はすごくショックでしたね。

「きれいな大人になりなさい」貧しい暮らしでも「美」を教えてくれた母

――子どもの頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

 小学校低学年の時に、育ての父が借金をした人の保証人になっていて、ストレスがあったこともあってか、 脳溢血(のういっけつ) で亡くなりました。それから、借金を返すため、育ての母は料亭で働いたり、保険の外交をしたりして、一日中働いていました。だからいつも家で独りぼっち。

 隣のおうちにテレビがあってね、家族で和気あいあいとテレビを見ているんです。「テレビを見においで」と誘われても意地でも見に行かなかった。

 古いトタン屋根の家に住んでいて、雨が降ると雨漏りがするんです。眠っていると、おでこに水がぽつーん、ぽつーんって落ちてくる。雨の日には洗面器やバケツをそこら中に置いていました。

 そんな貧しい生活だったけれど、休みの日にはよく育ての母と一緒に銀ブラを楽しみました。もちろんお金がなくて買えないけれど、「これは外国からきたものだよ」とウィンドーショッピングしながら色々説明してくれるんです。母は「きれいな大人になるのよ。あなたは仕事をして自分のために買いなさいね」って言っていました。

――すてきな思い出ですね。

 母は大学まで行かせたかったようですが、母の苦労を間近で見ていたので早くお金を稼ぎたかった。芸能界に入って売れれば、お金を稼げると思って、高校を中退して東宝芸能学校に入りました。

 学費を稼ぐために喫茶店でアルバイト、長期休みにはビルの清掃員や郵便局の仕分けもやりました。卒業後に歌手をやらないかと誘いを受け、古賀政男先生の門下生になりました。

いやいや歌ったらヒット曲に……紅白初出場を果たす


[歌手 美川憲一さん](上)「落ちるところまで落ちたら上を見るだけ」 大麻所持で逮捕されても復活できたワケ

スタンドマイクで歌う美川さん(本人提供)

――19歳の頃に「だけど だけど だけど」でデビュー。最初はさわやかな青年歌謡路線でしたね。3曲目の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットしました。

 「柳ヶ瀬ブルース」は盛り場がテーマの曲だから方向性が違うので歌いたくないって言っていたの。歌詞の「ほろり落したエメラルド」の意味が全然わからなくて。母からは「大人の歌なんてわかったふりして歌いなさい」って言われましたね。それでレコーディングでいやいや歌ったら、「その冷めた感じがいい」ってほめられました。

 タキシード着て、直立不動、スタンドマイクで (りん) とした感じで歌っていました。その後、「新潟ブルース」もヒットしましたが、NHK紅白歌合戦には出られませんでした。当時は大物歌手がたくさんいて、新人は1、2人出られるかどうか。その次に出した「釧路の夜」でようやく初出場がかないました。やっとか、って感じでしたね。

――その後は「おんなの朝」「お金をちょうだい」など、大人の女心を歌い上げた曲がヒット、1972年には美川さんの代名詞ともいえる「さそり座の女」が発売されました。

 おんなの朝は、歌詞に「ゆうべあんなに燃えながら」って入っているのがダメって言われて紅白で歌わせてもらえなかったのよ。厳しい時代だったわ。

――68年から74年まで紅白に7回連続で出場された後、落選しました。

 落選が伝えられたのは、のど自慢の音合わせが終わった後でした。「あっそ、ふん」って感じだったわ。みんな私ががっくりすると思っていたのか、「落ちたのにどうして?」「いい根性している」って言われましたね。

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