漫画で伝える「ヤングケアラー」の人生…当事者と専門家の視点から支援を訴える美齊津康弘さん
インタビューズ
誰も助けてくれなかった、小学5年で始まった親の介護…「48歳で認知症になった母」原作者・美齊津康弘さん(上)
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小学生の「やっちゃん」の目から、アルツハイマー病になった「お母さん」との暮らしを描いた「48歳で認知症になった母」(KADOKAWA)は、実話を基にしたコミックエッセーです。まだ介護保険制度もなかった1980年代に、若年性認知症の母親を幼い子どもが介護する衝撃的な内容が話題になりました。「やっちゃん」こと、原作者の 美齊津康弘 さんに、当時を振り返ってもらいました。(メディア局編集部 飯田祐子)
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症状を理解できず
――漫画には、発症前のお母さんが、まだあどけないやっちゃんにたくさんの愛情を注いでいた様子が描かれていました。そんな穏やかな生活が、お母さんの病気で一変します。
母は、父が経営する水産会社の経理を担当していたのですが、ミスが増えて仕事を続けられなくなりました。家事もだんだんとできなくなっていき、調理中にぼやを起こしたこともありました。身だしなみに気を使わなくなり、何日も着替えない、お風呂にも入らない。私が中学に上がると 徘徊 が始まり、私のことも分からなくなりました。
アルツハイマー病と言われても、私の周りでは、どういう病気か理解している人はほとんどいませんでした。当時は、「ぼけた」とか、「頭がおかしくなった」なんて認識でしたね。
周りの大人も、もちろん私自身も、何が起こっているのか分からない。母の症状を前にして、理解が追いつかないんです。
――認知症の人の介護は、大人でも苦労するものです。作中では、家族の中で一番幼いやっちゃんが、食事作りから排せつの後始末まで、お母さんの面倒をほとんど一人で見ていました。実際はどうだったのでしょうか?
漫画の通りです。父は、会社の経営が厳しかった頃で、母が抜けた穴も埋めねばならず、大変だったと思います。早朝から市場で仕入れ、やっと帰宅するのは、私たちが寝る頃になってから、という毎日でした。
姉は、私とは13歳離れていて、物心ついた頃には既に結婚して家を出ていました。
漫画を読んだ方から、「高校生だったお兄さんは何をやっていたのか」と聞かれることがあります。作品の中では描ききれなかったのですが、兄にも事情がありました。
兄は私の6歳上で、親から「お前は長男として会社を継ぐんだ」と言われ続け、「自分の人生は自分で選びたい」と反発して大学進学を目指しました。ところが、受験勉強に打ち込まねばならない時に母が病気になった。母のことが気にならなかったわけはないでしょうが、自分のことで精いっぱいだったのだと思います。
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