ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[元プリンセスプリンセス 富田京子さん](下)まったくやる気がなかった「アイドル候補」の女の子5人が、「プリプリ」に生まれ変わった理由
インタビューも佳境に入り、「PRINCESS PRINCESS」(以下、プリプリ)結成当時のメンバーが抱えていた意外な思い、人気バンドになってからの活動、解散の理由、さらに東日本大震災の復興支援のための再結成などへと話が及びます。さらに、富田さんが作詞した作品で、「Diamonds」のカップリング曲、つまり「B面扱い」だったにもかかわらず、失恋した女の子の切ない心象風景を描き、現在でも絶大な人気を誇る「あの曲」についても……。(聞き手・染谷一、撮影・小倉和徳)
プリプリ結成当時は「メンバー全員、やる気がなかった」
――PRINCESS PRINCESSは、1983年にレコード会社のオーディションで選ばれたメンバーで結成されました。もともと、「バンド形式のアイドルを作りたい」という大人の事情で選ばれたと聞きます。とはいえ、選考では音楽性や楽器の腕も試されたのですか?
あとで気が付いたのですが、応募者の中でも、すでにバンド活動をやっていて、自分の音楽性がはっきりあるような人たちは、みんな落とされていましたね。プリプリのメンバーで「あの人のほうがうまかったのに、なんで選ばれなかったんだろうね」と話したこともあります。
――アイドルとしてプロデュースしやすさが優先したのかな?
そうみたいですね。「キャンディーズやピンクレディーが楽器を持ったようなバンド」を作ろうとしたらしいですから。本人たちにとっては、想像とは違いましたけど。
――デビューした当初のグループ名は「赤坂小町」で、当時の演奏は、今でも動画サイトで見ることができますが、プリプリとはびっくりするぐらい雰囲気が違います。その後の姿が想像できないほどです。
自分でオーディションを受けたのに、メンバーはみんなまったくやる気がなかったですからね。会社から与えられた演奏曲は、自分たちが聴いてきた音楽ではなかったし、好みでもなかった。メンバー全員、「こんなのやりたくない!」と考えていました。
――「いかにもアイドル」って感じだったことが不本意だった。
はい。テレビ番組に出たりすると、「ガチ」のアイドルの人たちと一緒になるわけです。向こうは、すごくかわいいし、衣装もすごい。プリプリのメンバーたちは「これは違う」となるわけです。ルックスで勝負しようとしても……ね。
――いやいや、あらためて見ると、赤坂小町も思い切りアイドルっぽいルックスだったと思いますよ。
いやいや、「ガチ」なアイドルと比較すれば、どこか……ね(笑)。とくに、アイドル全盛の1980年代でしたから、自分たちでも「こりゃ、ムリだ」とわかりますし、「切り替えなきゃ」とも考えます。もともと、自分たちはロックが好きだったし。デビューするときに、(ギター担当の)中山加奈子さんなんかは、オーディション前は金髪だったのに、デビューのために黒く染め直させられ、ボーカルの岸谷香(旧姓・奥居)さんも、あえてアイドルっぽく歌わされていた。みんなストレスを抱えていました。それが「こんなはずじゃなかった」から、「自分たちがやりたい音楽をやろう」へと変化して、「自分たちで曲を作ろう」「うまくなるために練習もしよう」となりました。
1 / 5
【関連記事】