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医療・健康・介護のコラム

[元競泳日本代表 萩原智子さん](上)子宮内膜症を乗り越えて今…女性の健康を守るために必要なこと

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 2000年のシドニー五輪で、200メートル背泳ぎで4位に入るなど2種目で入賞。「ハギトモ」の愛称で呼ばれる萩原智子さんは、現役時代、子宮内膜症・卵巣 (のう) 腫の手術を経験しました。今は子育てをしながら、日本水泳連盟理事やスポーツ解説者として活躍しています。女性の健康を守るために私たちが何を心がけるべきか。自身の経験を踏まえて語ってくれました。(聞き手・斎藤雄介 撮影・中山博敬)

生理痛があっても病気とは考えなかった

[元競泳日本代表 萩原智子さん](上)子宮内膜症を乗り越えて今…女性の健康を守るために必要なこと

――シドニー五輪後の2004年に現役引退。2009年には復帰宣言し、30歳にして日本代表に復帰。華々しい復活をとげました。

 2008年の北京五輪にマスコミの一員として行って、もう一度、競技に復帰したいという思いが込み上げてきたんです。帰国してすぐに練習を始め、2009年9月の新潟国体で、50メートル自由形の大会新記録を出して優勝することができました。

 でも、その冬ぐらいから、月経の前後でおなかが痛くて、寝汗をかいたり、排便痛もあったり、「ちょっとおかしいなあ」と感じていました。小学5年生で初経を迎え、高校生くらいの頃から、月経痛を感じるようになっていました。その痛みは徐々に強くなっていたように思いましたが、月に1回のことなので痛み止めを飲んで生活をしていました。病気とは一切考えませんでした。

――子宮内膜症はどのようにしてわかったのですか。

 泳ぎこみをしていた2010年から2011年の冬あたり、月経が始まる前から、異常な寝汗をかいたり、胃がカチカチになってしまったようで、食欲がなくなったり、だんだんと生活に支障が出るようになっていました。練習をがんばりすぎて、過労でこういう状況になっているのだと思っていたんです。あまりの痛みに耐えられなくなり、動けないぐらいになって、かかりつけの内科に行きました。エコー検査ですでに卵巣嚢腫が7センチぐらいになっているのがわかりました。婦人科を紹介してもらって、その日のうちに調べてもらいました。子宮内膜症、卵巣嚢腫のチョコレート嚢胞という診断を受け、「このまま何もしなければ、不妊症になる可能性が高い」と言われました。

――どのように受け止められましたか。

 とても落ち込みました。2006年に結婚して、いつか子どもを授かって育てたいという夢もありました。「ああ、もう水泳やっている場合じゃない」「どういう治療をしていくのか、しっかり考えなければいけない」と悩みました。その後は、病院を4か所程回りました。先生との相性がなかなか合わず、「もう不妊症になっちゃうから」と断言する先生もいて、傷ついたこともありました。

 最後に日赤医療センター(東京)を紹介していただき、とてもいい先生に出会えました。絵を描いて、「手術をするなら、こう」「薬で抑えていくのなら、こういう薬をこういうふうに使います」と本当に優しく教えてくれた。「排便するときの痛みを考えると、チョコレート嚢胞が多臓器に癒着している可能性がある」とも言われて、考えた末に手術を選択しました。

ブログで病気を公表、大きな反響を呼ぶ

――2011年4月にブログで病気を公表しました。なぜ公表に踏み切ったのですか。

 迷いました。あの時代は、スポーツ界でも世間一般でも、婦人科系の病気だとはなかなか口にできなかった。デリケートな問題なので、話題にする人も少なかった。でも、だからこそ、私は公表しようと思いました。そして、同じ病気の方々とコミュニケーションが取れるかもしれないというかすかな望みもありましたし、その年の日本代表選考のかかった日本選手権を欠場することになり、問い合わせが多数あったことも公表を決めた理由です。

 公表後、想像をしていたよりも多くの言葉をかけていただきました。「実は私もそうでした」とか、「僕の妻がそうです」「私も婦人科の検査にちゃんと行きます」。多くの反響、エールにただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。

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