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ココロブルーに効く話 小山文彦

医療・健康・介護のコラム

【Track26】家族の自死を乗り越えて 父と娘の20年「ずっと一緒にいたから」

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これ以上、まだ自分の口からは…

【Track26】家族の自死を乗り越えて 父と娘の20年「ずっと一緒にいたから」

 事情が事情なので、葬儀はひっそりと行うことになりましたが、その前に娘さんには、母親が亡くなったことだけは伝えなければなりません。

 アキさんと母親のキミさんを呼び、静かな口調で言いました。

 「アキ……、母さんは、死んでしまった。病院から知らせが来てね」

 すぐに事情をのみ込めずにいるアキさんは、きょとんとして、しばらく不思議そうな顔をしていたそうです。それから彼女の顔は、涙でぐしゃぐしゃになり、「どうして?……母さん、もう会えないの??」と何度も繰り返して泣きじゃくりました。キミさんがアキさんを抱きしめ、トシオさんも 嗚咽(おえつ) をこらえることはできなかったそうです。そのシーンを想像するだけで、こちらの胸も詰まってきます。

 そのとき、トシオさんは改めて「今、自分の口からは、(妻が亡くなった理由について)これ以上は言えない。言うべきではない」と決心したと言います。もちろん、地域でも、学校でも、人のうわさはシャットアウトできません。遅かれ早かれ、アキさんは本当の事情を知ることになります。

 その後も定期的に私の診察室にやってきたトシオさんから話を伺う機会はありましたが、彼の口からアキさんがどうやって本当のことを知ったのかは語られませんでしたし、私から聞くこともしませんでした。

身近な人の死に直面してから

 ただ、当時の彼は、次のようなことを何度も繰り返していました。

 「妻の部屋は亡くなる前のままで、何も整理できていない」

 「なぜ、こんなことが、うちの家庭に起こらなければいけないのか?」

 「妻に自分がしてやれることはあったかもしれないのに、結果的に何もできないまま、死なせてしまった」

 これらの言葉からは、妻の死という事実を認めがたい気持ち(否認)、さらに自分と家族に降りかかった悲劇に対する怒り、悔しさがにじみ出ていました。

 トシオさんに会うたびに、私が思い返したことがあります。米国の精神科医エリザベス・キューブラー・ロスが、著書「死ぬ瞬間」(1969年)で提唱した「悲嘆の5段階」です。

 簡単に言うと、人が、自身に迫る死や、死別などの悲しみを受け止め乗り越えていくには、いくつか段階が必要だということ。つまり、悲嘆の淵から、「事実を受容していく」までの過程です。第1段階「否認と孤立」、第2段階「怒り」、第3段階「取引(悲しみを代償するような行動)」、第4段階「抑うつ」を経て、第5段階「受容」に至るとされています。

 トシオさんの場合も、当初は否認と悔しさや怒りから始まり、その後、生活のさまざまな場で自嘲的に笑ったり、店の顧客に過剰なサービスをしてしまったりなどの「取引」的な行動が見られました。病的な抑うつ状態には至りませんでしたが、やはり娘に、自分の口から母親の死の真相を告げていないことへの良心の 呵責(かしゃく) には耐えかねている様子でした。

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小山 文彦(こやま・ふみひこ)

 東邦大学医療センター産業精神保健職場復帰支援センター長・教授。広島県出身。1991年、徳島大医学部卒。岡山大病院、独立行政法人労働者健康安全機構などを経て、2016年から現職。著書に「ココロブルーと脳ブルー 知っておきたい科学としてのメンタルヘルス」「精神科医の話の聴き方10のセオリー」などがある。19年にはシンガーソング・ライターとしてアルバム「Young At Heart!」を発表した。

 2021年5月には、新型コロナの時代に伝えたいメッセージを込めた 「リンゴの赤」 をリリースした。

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