なかさとみ「吉本芸人 卵子提供で2人のママに」
医療・健康・介護のコラム
卵子提供による出産と遺伝子へのこだわりについて考えた
誰でも自分に似た子どもが欲しい
元々のところでは、当事者も非当事者も同じように自分に似た子どもが欲しいと思っています。でもそれが叶わなかった時、私たち当事者は「自分の遺伝子が無理なら、せめて夫の遺伝子だけでも……」と思ったのです。なので、私は子どもたちが大きくなったら「人間は基本的にはみんな同じなんだけど、そのなかで個々に考え方が違うところもあるんだよ」と伝えたいなと思っています。
セミナーなどでみなさんにお話しする時は必ず、「当事者と非当事者は違う」と捉えないようにお伝えしています。そのような分断を生む考え方は、百害あって一利なしだと思っています。分断ではなく、お互いの理解を促すような方向でお話をさせていただいています。
親の価値観を子どもに押し付けない
卵子提供で生まれたとしても、小さい頃から告知を受けていれば、子どもはそのまま受け入れます。私の生まれた家は経済的に裕福な家庭ではなかったので、親はいつも「うちはお金がないから」が口癖でした。しかし、私はお金がないことよりも「お金がないからああしなさい、こうしなさい」と親の価値観を押し付けられることのほうがとても嫌でした。
自分が卵子提供で生まれたことを事実として伝えられることよりも、「あなたは卵子提供で生まれたのだから、こうしなさい、ああしなさい」と親から言われることのほうが、よっぽど子どもの心の負担になるのではないかと私は思います。
また「卵子提供で産んだことを、わざわざ世間に向けて公表しなくてもいい」というご意見も多くいただくのですが、こちらについては少々暴論ではないかな? と感じています。日本はまだまだ保守的な教育や文化の根強い国だと思いますが、理想を言えば、卵子提供で産んだことを堂々と言える社会こそが健全な社会ではないかと思います。
そのような社会にするには、インクルーシブ(包括的)でダイバーシティー(多様性)を尊重した教育や文化がもっともっと浸透していくことが望ましいと思います。多様な家族や様々な出自を持った子どもたちが暮らしやすい日本になっていくことを願っています。(なかさとみ)
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