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[女優 高橋惠子さん](下)海外逃亡した20代の頃 42歳で舞台復帰へ、蜷川さんがかけてくれた一言
1970年に15歳で映画「高校生ブルース」に初主演して以来、映画やドラマ、舞台にと、約50年にわたり活躍している女優の高橋惠子さん。私生活では、映画監督の高橋伴明さんと結婚して今年で40年になります。家族のこと、芝居への思いなどについて話を聞きました。(聞き手・田村良彦、撮影・小倉和徳)
たくさんの方に迷惑をかけました
――20歳代半ばの頃には、舞台を無断で降板して海外へ逃避行し、世間を騒がせたこともありました。
その時は、自分なりに精いっぱい生きていたんだなと思います。随分たくさんの人に迷惑をかけましたので、とても人にはお勧めできないことですけれども。
――仕事への影響も大きかったのでは。
軌道を逸してしまったこの事件によって、「舞台に立つことはもうない」と思っていました。久々の舞台出演に向けて、(演出家の)蜷川(幸雄)さんから、「お帰り」と声をかけていただいたのは、それから20年近くたった、42歳のときです。
以来、舞台に出演させていただく度に、その時のことを思い出しています。舞台に立つのは、私にとってどれだけ奇跡的で、普通ではない、ありがたいことなんだと。
あの事件があったからこそ女優を続けているのかも
――今振り返ってみると、女優人生にとってどんなできごとでしたか。
もう67歳になりますけど、これまで女優を続けてこられたのは、一つには、あの事件があったからかもしれないと思うことがあります。そんなこともなく、順調にずっとやってきていたら、もしかしたら、もうやめていたかもしれません。
迷惑をかけた方々に申し訳ないという気持ちは今も変わらないですけれども、今は、その時の自分のしでかしたことを受け入れられるというか、それがあったから今があるというふうに思えます。
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