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Dr.高野の「腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」

医療・健康・介護のコラム

私が腫瘍内科医になったわけ…初めて受け持った患者さんが「濃紺のネクタイ」に込めた意味とは

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私が腫瘍内科医になったわけ…初めて受け持った患者さんが 「濃紺のネクタイ」に込めた意味とは

イラスト:さかいゆは

 「 がん教育 」が広まりつつあり、私もときどき中学校で授業を行っています。生徒の皆さんは、がんについての話をとても熱心に聞いてくれて、授業後にはたくさんの感想と質問を寄せてくれます。今回はその中から、「どうして、腫瘍内科医になったのですか?」という質問にお答えします。

腫瘍内科医とは

 腫瘍内科医は「がんを診る内科医」です。外科医が手術をし、放射線科医が放射線治療を行うのに対して、主に、抗がん剤や分子標的治療薬などの「薬物療法」を担当します。がんを治すために薬物療法を行う場面もありますが、体全体にがんが広がっている場合には、どんな治療を行っても、がんを治すことは困難です。腫瘍内科医は、そういう「治らない」がんを抱えている患者さんを多く診ています。

道なき道を進む

 大学5年生のとき、医学部同窓会の新聞の編集長として、全国の著名な方々にインタビューをする機会がありました。当時、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)総長の阿部薫さんにお会いして、「これから必要になるのは、腫瘍内科医だ」という話を聞きました。「腫瘍内科医」という仕事があることを初めて知ったわけですが、その瞬間、自分の目指す道はこれだ、と思いました。

 当時の日本には、腫瘍内科医としての道が用意されていたわけではなく、道なき道を進むのは大変でした。しかし、多くの患者さんや同じ思いを持つ先輩や仲間に支えられて、なんとかやってきました。治らないがんであっても、最善の医療で「幸せ」を目指したい――。学生時代の思いは今も変わっていません。

患者さんの道案内役となり、ともに歩む

 私が大事にしているのは、患者さんとの語り合いです。腫瘍内科医は、ただ標準治療をすればよいのではなく、その治療によって何を目指すのかを考えることの方が重要です。そのためには、患者さんの思いを聞き、語り合う必要があります。患者さんが大切にしているものを知るためには、雑談も重要な意味を持ちます。語り合いを通じて目標を共有し、患者さんが道に迷いそうになったら案内役になり、ともに歩んでいく、ともに治療に取り組んでいく、というのが腫瘍内科医のあるべき姿です。

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高野 利実 (たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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