認知症ポジティ部
医療・健康・介護のコラム
認知症になって「苦手」なことも自分で挑戦…手助けする商品使い、生きる力に
認知症になって「苦手なこと」が出てきても、ちょっとした工夫で乗り越えられるケースがあります。「できるかぎり自分でやりたい」という思いや、「こんなものがあったら便利」という当事者の視点を生かした商品が生まれています。(沼尻知子)
靴下…筒状、はき口を縁取り強調
「やわらかくて足を入れやすい。色もすてき」
名古屋市中区の認知症対応型デイサービス「とんとOHANA(オハナ)」。週に3回、ここに通う近藤葉子さん(62)が、試作品の靴下をはき、笑顔で話した。
近藤さんら認知症の人の声に耳を傾け、新しい靴下の開発に挑んだのは、衣料品メーカー「大醐」(同市北区)。後藤裕一社長(51)が、北区の認知症の人に優しい街づくりの活動に参加するようになったのがきっかけだった。
「靴下をうまくはけなくなって外出が減った」という家族の声を聞き、認知症の人が、色や形の違いを見分けるのが難しくなり、靴下のはき口がわからなかったり、かかとの部分を合わせられなくなったりすることがあると知った。「自分たちにできることがあるのでは」と誰でもはきやすい靴下を作ることにした。
どの向きではいても「失敗」にならないように、かかと部分をなくした筒状の形を考案した。
ただ、近藤さんらに試してもらうと、「はき口がわかりにくい」「もっと大きく開くようにしてほしい」といった要望が出た。はき口を全体とは違う色の太いラインで縁取ったほか、編み方や、ゴムの幅などの改良を重ね、弱い力でも大きく開くようにした。
とんとOHANAの管理者で作業療法士の伊藤篤史さん(47)は「『うまくはけない』と自信をなくして、自分ではくのをやめてしまうこともある。『自分でできる』と思える時間を延ばすことができれば、外出を楽しむ気持ちにもつながるはず」と話す。
後藤さんらが大事にしているのは、特別扱いされるのではなく普通に暮らしたい、という認知症の人たちの声だ。「おしゃれを楽しむことも生活の一部」と、色やデザインにもこだわった。
ただ、柄を入れると糸の編み込みが複雑になり、生地の伸びが悪くなる。それでも、「無地しか選択肢がないというのはさみしい」と、糸の編み方などを試行錯誤し、ようやく課題を乗り越えた。
出来上がった靴下は「Unicks(ユニークス)」という商品名で5月末から販売を予定している。
後藤さんは「認知症の人に使いやすいなら、誰にとっても使いやすいはず。今後は、下着の開発なども進めたい」と意欲を燃やす。
できる方法 一緒に考えて
靴下の商品開発に参加した近藤葉子さんは、愛知県の「認知症希望大使」として活動しています。思いを聞きました。
10年ほど前、水道メーターの検針の仕事をしていた時に、約束の時間を忘れたり、メーターの場所がわからなくなったりすることがあり、若年性認知症と診断されました。症状は、10人いれば10人、それぞれ違います。色々な人がいることを伝えたくて、希望大使になりました。
ATM(現金自動預け払い機)で暗証番号を間違えたり、友達と会う約束を忘れてしまったり、失敗はいっぱい。地下鉄を間違えて、目的地にたどり着けないこともある。でも、「自分でやること」を奪わないでほしい。
1回の失敗で「やっては駄目」となると、ATMの使い方も地下鉄の乗り方も忘れてしまうでしょう。落ち込むこともあるけれど、「〽ケ・セラ・セラ」で。どうしたらうまくできるのか、方法を一緒に考えてくれたらうれしいです。
やりたいことをできる環境は、生きる力にかかわります。この靴下があることで、今まではけなかった人がはくことができたら、「次はあれをやってみたい」と挑戦する力になるはずです。
手帳…写真と文字で日記風に
「母は、過去のページをめくり、自分の字と写真を頼りに記憶をたぐり寄せているように見えました」
大切な思い出を、認知症の人や家族が振り返ることができる「おぼえている手帳」(税込み2500円)は、手帳評論家の舘神龍彦さんのそんな経験が商品化のきっかけになった。表紙を開くと、右側に文字を書くスペースがあり、左側に写真を入れる透明のポケットがついている。日記帳のようにその日の出来事を書き込み、写真を添えて使う。
10年ほど前、母親が認知症になり、食事や外出など家族の思い出を忘れてしまうことが続いた。「少しでも記憶にとどめてほしい」と、市販のノートに母親自身の手で日付と出来事を書いてもらい、写真も貼ることにした。
できる限りその場で思ったことを書き込んでもらったほか、忘れてしまった時は撮った写真を一緒に見て、どんなことがあったか話をしながらページを埋めていった。
市販のノートで7~8年続けていたが、「使いやすい商品があれば、多くの家族に利用してもらえる」と、コンサートなどイベントの記録用のノートを販売していたメーカーに商品化を依頼。右開きにしたり、写真のポケットを付けたりと工夫し、昨年、インターネット上で販売を始めた。
認知症では、昔の記憶は残っていても、前日の出来事や今朝食べたものなどを忘れてしまうことが多い。舘神さんは「記憶がないことで不安に感じた時、自分の字や写真で記録されていることで、『こういう時間を過ごしてきた』と安心してもらえると思う。家族や介護する人と一緒にページをめくり、会話を楽しんでほしい」と話している。
記憶障害 本人の尊厳配慮
認知症の症状の一つに、「記憶障害」があります。さっき食事をしたのに「まだ食べていない」と言うとか、知人と会って話したことを覚えていない、といったケースがみられます。
記憶の仕組みは、〈1〉目や耳から入る出来事の情報を認識〈2〉その内容が脳に定着する〈3〉必要に応じて思い起こす――という流れです。
認知症診療を専門とする和光病院(埼玉県和光市)の今井 幸充 院長は、この〈2〉の「定着」が難しくなるケースが多いと説明します。
よく比較される「加齢に伴う物忘れ」では、何を食べたかや会った人の名前を思い出せないなど、体験の一部を忘れます。これに対し、認知症の記憶障害では、「食事をしたことなど、出来事や体験そのものが抜け落ち、本人にとっては体験していないのと同じ状態」(今井院長)といいます。
家族が「ご飯は食べたでしょ」と事実を伝えても、かえって混乱を招くでしょう。財布をどこかにしまったことを忘れ、「なくした」と言うのも仕方がありません。「身に覚えのないことで責めては、尊厳を傷つけられたと感じてしまう」と今井院長は心配します。
不安が暴言・暴力に
家族はつい、忘れたことを覚えさせようとしたり、失敗を厳しく注意したりしがちです。でも、それが本人の不安を大きくし、周囲に対する悪い感情が残ることにつながって、「BPSD(行動・心理症状)」が生じる場合もあります。
暴言・暴力といった形で家族に怒りをぶつけたり、大事な物を誰かにとられたなどと思い込んだりと様々なケースがあります。
今井院長は「直前の出来事を忘れてしまうのはよくあることと理解し、本人に寄り添うことで、状況が変わることもある」と説明します。「食事はまだ?」という訴えに、「もう食べたでしょ」と言い返すのではなく、「用意するから待ってね」とお茶を出す。そうしたやりとりで本人が安心すれば、BPSDの予防や改善にもつながるといいます。
「残された力」発揮
記憶障害があっても、若い頃に身につけた技術や知識は失われない場合があります。和光病院では、認知症の高齢者が三味線を上手に弾いて、医師らを驚かせた事例があるそうです。
「人それぞれ、裁縫や園芸など得意なことがある。家族の役に立って喜ばれたりすれば、心の安定にもつながる」。今井院長は「残された力」を発揮できるように周囲がサポートすることの大切さを強調します。
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