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鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」

 死期が迫った患者と家族を前にして、どう振る舞えばいいかわからない……。医療現場に立つ看護師たちは、日々、難しい場面に遭遇します。忙しい業務に追われながらも、患者からは見えないところで、迷い、悩む看護師たちの姿から学べることは何か。聖路加国際大学教授で、生命倫理を研究する鶴若麻理さんが、医療の現実と生命倫理について、読者とともに考えていきます。

医療・健康・介護のコラム

急変し酸素のチューブを入れた68歳脳腫瘍患者 娘は「こんなふうになって」と…意識低下の前に必要だったこと

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 68歳男性。物忘れが増え、発語がしにくくなり受診。この時、四肢にまひはなく、日常会話は可能だが、質問に対して回答することが難しくなっていた。検査の結果、脳に原発の腫瘍が見つかり、脳神経外科病棟へ入院。医師からは、病気や今後の治療について伝えられ、「同じ病気で9人の患者がいたとすると、真ん中の5番目にあたる患者さんの生存期間は5年。これは中央の値なので、もっと長く生きる方もたくさんいらっしゃいますし、場合によっては短い場合もあります」と説明された。

「心肺蘇生しない」意思あったが、家族と連絡つかず…

急変し酸素のチューブを入れた68歳脳腫瘍患者 娘は「こんなふうになって」と…意識低下の前に必要だったこと

 患者や家族の同意のもと、積極的な治療をしていくことになり、脳腫瘍の摘出手術と化学療法を受けた。4クール目の化学療法中に白血球の値が低下したため、投薬を延期。その後のMRI(磁気共鳴画像)で、脊髄に腫瘍が転移していることがわかった。入院し、脊髄の腫瘍への放射線治療を受けたが、認知機能が徐々に低下してぼんやりした状態が続き、口角が下垂し、右下肢にまひがあるのを看護師が発見した。MRIでは、脳室内と左側頭葉に病変が拡大していた。問いかけには答えるが、自分が今、どこで何をしているかはわかっていない。

 脳腫瘍への全脳照射(脳全体に放射線をあてる)を開始。しかし、おう吐・ 誤嚥(ごえん) のために呼吸状態が悪化した。患者の意思に沿って、あらかじめ医師が示していた指示(DNAR指示)は、「急変時、心肺蘇生をしない」だったが、家族に連絡がつかず、最終的な確認ができなかったため、呼吸を助けるためのチューブを口から挿入した。DNAR指示に従い、人工呼吸器には接続せず、チューブからの酸素投与のみを続けた。

 到着した娘は、「こんなふうになってしまって、本当に父が望んでいた形なのか…」と看護師につぶやいた。

 この事例は、脳神経系疾患にたずさわる看護師が報告してくれた事例です。この看護師は、「この患者さんと1年半近くかかわってきたのに、何を望んでいたのかをわかっておらず、がく然とした。『治療のための看護』しかしていなかった」と振り返りました。

治療がうまくいっていることはカルテに書かれていたが…

 患者さんの意識は回復せず、呼吸状態は横ばいが続き、急変から2週間後に息をひきとったそうです。看護師は、娘さんのつぶやきが忘れられなかったと言います。カルテをすべて読み直して気づいたのは、「治療がうまくいっていることは書かれている。でも、患者さんがどんな思いで治療を望んだのか、家に帰ったら何をしたいのか、どんな楽しみがあるのか、これからどんな暮らしをしたいのか……何も書いていない。患者さんの生活や人生を支えるための看護ができていなかった」ということでした。

 担当の医師とも、この患者さんについて話しました。医師は、「患者が治療に意欲的であったことと、全脳照射がうまくいくと考えていたため積極的な治療を実施した。DNAR指示があるため人工呼吸器の装着は見送ったが、全脳照射の治療が奏功すれば患者の状態も改善すると考え、一時的に呼吸を補助する意図でチューブを挿管した」と話したそうです。

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鶴若麻理(つるわか・まり)

 聖路加国際大学教授(生命倫理学・看護倫理学)、同公衆衛生大学院兼任教授。
 早稲田大人間科学部卒業、同大学院博士課程修了後、同大人間総合研究センター助手、聖路加国際大助教を経て、現職。生命倫理の分野から本人の意向を尊重した保健、医療の選択や決定を実現するための支援や仕組みについて、臨床の人々と協働しながら研究・教育に携わっている。2020年度、聖路加国際大学大学院生命倫理学・看護倫理学コース(修士・博士課程)を開講。編著書に「看護師の倫理調整力 専門看護師の実践に学ぶ」(日本看護協会出版会)、「臨床のジレンマ30事例を解決に導く 看護管理と倫理の考えかた」(学研メディカル秀潤社)、「ナラティヴでみる看護倫理」(南江堂)がある。

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