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医療・健康・介護のコラム

[タレント 新田恵利さん](上)恵利に「ありがとう」と言ってからいくね…約束した母 6年半の在宅介護と別れ

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 「おニャン子クラブ」の会員番号4。1980年代後半、アイドルとして大人気だった新田恵利さんは、2021年、6年半の介護の末にお母さんをご自宅で 看取(みと) りました。突然、直面した介護という大きなテーマと、いかに向き合い、乗り越えてきたのか。お話をうかがいました。(聞き手・梅崎正直、撮影・中山博敬)

「ママが立てなくなってる!」と兄に叫び

[タレント 新田恵利さん](上)恵利に「ありがとう」と言ってからいくね…約束した母 6年半の在宅介護と別れ

――2014年から6年半にわたって、お母さんの在宅介護を経験されています。介護生活はどのように始まったのでしょうか。

 もともと母は 骨粗鬆症(こつそそうしょう) で圧迫骨折を繰り返していました。85歳で入院した時も、「退院すれば回復して、日常に戻る」と思っていたんです。それが、歩けない、立つこともできないということになり、私はショックでした。タクシーで自宅に連れて帰りましたが、一人で母を降ろすことができず、母の部屋で待っていた兄に向かって「ママが立てなくなってる!」と叫びました。兄もあわてて、はだしで飛び出してきました。

 頭の中は「なんで? なんで? なんで?……」ばかりです。「病院にいたのに、どうして立てなくなるの?」。やり場のない怒りでいっぱいでした。

――すぐには現実を受け入れられなかったんですね。

 パニックでした。そんな混乱のなかでも、歩けないのなら、トイレは行けない……これは介護が必要ということなんだ、と理解しました。病院でも市役所でも、そっけない対応しかしてもらえなかったのがつらかったですね。地域包括支援センターの人が、「大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれたとき、母の退院後はじめて、止まっていた時が動きだし、凍っていた心が解けだした気がしました。

 母は要介護4とされました。在宅で、私と兄が交代で見ることにしました。ヘルパーは頼みませんでした。介護保険を使って、ベッドと車いすをリースで利用しました。

要介護4から3へ オムツを卒業

――大変だったことは?

 オムツ替えですね。臭いにも苦労しましたけど、母は大柄な人でしたから、やせてきたとはいえ、力が必要でした。兄は、私に負担をかけないようにしたかったのか、仕事に行くときには、「俺が帰るまでがまんして」と母に言っていたようです。でも、そういうわけにはいきませんよね。母は退院した直後はせん妄があって、兄を認識できていなかったんです。そういうときから、兄もオムツ替えをしていたので、その後、意識がはっきりしてからも、息子にオムツを替えてもらうことには抵抗を感じずにすんだようです。

 訪問リハビリは効果があって、徐々に筋力がついてきました。そうなると、母は自ら「リハビリのために入院する」と言いました。40日入院してリハビリをした結果、要介護4から3になって、みんなに驚かれ、その後はデイサービスにも通えるようになりました。何より、自分で移動してトイレに行けるようになり、一時的にオムツを卒業できたのが、母はうれしかったと思います。

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