ペットと暮らせる特養から 若山三千彦
医療・健康・介護のコラム
福島原発事故で被災した猫の「福美ちゃん」 日なたぼっこで二度と会えなかった飼い主、我が家に思いはせ…
1年半ほど「さくらの里山科」で過ごし、虹の橋に旅立った
当時、福美ちゃんのように、あちこちを転々とした猫や犬は無数にいたと思われます。避難区域に取り残された猫たち、犬たちを迅速に保護しないと、命が失われてしまいます。そこで、大勢のボランティアさんたちと、たくさんの動物愛護団体が連携しながら、死に物狂いで保護活動に取り組んでいました。新たに猫を保護するためには、それ以前に保護した猫をどこかに託さないといけません。保護した猫たち、犬たちの生活の場所を確保するのも大変だったのです。
福美ちゃんは、大型のシェルターで半年ほど過ごしてから、「さくらの里山科」にやってきました。2012年4月のことです。
福美ちゃんは、ここでの暮らしにすぐ慣れました。猫と入居できるユニット(区画)の中で自由に生活できるのです。約20畳のリビング、8畳の居室10室、そして広い廊下や3か所のトイレで構成されたユニットは、猫にとっては十分な広さでしょう。家を失い、転々とし、やっと落ち着ける住み家を見つけたと思ったのかもしれません。
美人猫の福美ちゃんは、典型的な「ツンデレ猫」でした。心を許した人間や猫にはたっぷり甘えるのですが、そうでない相手は近寄らせませんでした。ただし、入居者の方だけは、誰にでもなでさせてくれました。これが、気に入らない職員が手を伸ばしたりしたら、「シャーッ」と猫パンチで応酬し、決してなでさせないのです。
猫相手では、保護猫のトラといつも、べったり一緒でした。後から入ってきた、やはり保護猫の太郎には、「シャーッ」と毛を逆立てて威嚇します。
そんな、いかにも猫らしいツンデレでしたが、入居者や職員のみんなから愛されていました。なでることを許してもらえない職員も、福美ちゃんのことが大好きでした。なでられなくて、しょんぼりしていましたが……。
お気に入りの場所はカーテンの内側の窓枠。そこで、よく座って、窓の外を眺めていました。単に日なたぼっこをしていただけなのかもしれませんが、もしかしたら、福島の我が家と、会えなくなった飼い主さん、家族に思いをはせていたのでしょうか。まるで、そんなふうにも映りました。
福美ちゃんは、1年半ほどを「さくらの里山科」で過ごし、虹の橋に旅立ちました。死因は老衰でした。本当の名前も年齢もわからなかったのですが、ホームに来た時、獣医さんの推定では13~15歳でした。その1年半後に死んだので、14~16歳だったのだと思います。猫としては平均的な寿命といえます。
晩年になって、故郷の福島から遠く離れた神奈川の、見知らぬ老人ホームで暮らすことを余儀なくされた福美ちゃん。おそらく大好きだったであろう、飼い主さんとも二度と会えませんでした。その寂しさを私たちが少しでも埋められたのであればいいのですが。
(若山三千彦 特別養護老人ホーム「さくらの里山科」施設長)
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