ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[歌手・女優 大場久美子さん](下)最後に「申しわけなかった」と私に頭を下げた父…末期がんの介護 自宅での看取りを選んだ
13歳でデビューし、トップアイドルとして歌にドラマに活躍した大場久美子さんは、その後、芸能生活を支えてくれた母と父を見送りました。お父さんについては、自宅での介護と 看取 りを選んでいます。父子で過ごした「最後の時間」を語ってくれました。(聞き手・梅崎正直、撮影・小倉和徳)
いつも怒っていた父
――2015年にはお父さんの介護と看取りを経験されています。どんなお父さんだったのですか。
厳格な父親で、特に男の子の教育には厳しかったです。いつも怒っていたという印象があります。理不尽なことは言わないのですが、神経質で曲がったことが嫌い。誰かとけんかをしない日はなかったくらいです。
その面倒を見ていたのが母で、母が亡くなってから、その役が私に回ってきたんです。
――大場さんのご自宅で介護されることを選んだのですね。
長年、前立腺がんの治療を続けてきたのですが、肝臓に転移していて余命半年と言われました。父は子どもたちに多くを語らなかったので、そんなに進行していたなんて、そこで初めて知ったんです。腹水もたまっていて、歩くのも難しい状態。東京の私の家に来るか聞いたところ、「行く」と言いました。
末期がんとされてからも、私の家ではパソコンをいじったりして、最後まで元気でしたが、腹水がたまって、ついに一口も水分を取れなくなってしまい、一度は入院しました。治療を終えた医師から、「明日、連れて帰らないと、もう帰れなくなるかもしれません」と言われました。父の意向を聞くと、「帰る」と。それで、自宅で父を看取ることに決めました。本人には病気の状態を詳しく話しませんでしたが、退院の時、医師や看護師たちがそろって送り出してくれたことで悟ったようです。涙を流していました。
――不安も大きかったのではないですか。
24時間体制で、枕元にベルを置き、いつ鳴ってもいいように気をつけていました。動けなくなってからは、私が手を握って添い寝をしました。父の状態に異変を感じ、救急車を呼ぶべきか迷った時には、動画を撮って知り合いの医師にLINEで送り、見てもらいました。訪問診療の医師にもお世話になりました。
父に見せるライブを計画していたが…
――お父さんとの最後の時間、どんな話をしましたか。
話さなかったですね。実は、それ以前から、父とはあまりいい関係ではなかった。では、なんで自宅に引き取ったの、と聞かれましたけど……。
ところが、もう話せなくなるという最後の時に、父は「申しわけなかった」と一言。そして、私に頭を下げたんです。いろんな意味が込められた言葉だったと思います。
父はよく持ちこたえていました。そんな時、訪問診療の医師から「記念日はありますか」と聞かれました。「何か記念日があるとき、患者さんはがんばるんです」と。年末だったのですが、翌年1月の私の誕生日に、父に見せるための記念ライブを計画していたんです。それが楽しみでがんばったのかどうかはわかりません。結局、 大晦日 の朝、父は息を引き取りました。
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