ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[フリーアナウンサー 町亞聖さん](上)ヤングケアラーだった18歳の私…母の介護、弟妹の世話と家事を背負いながらの大学受験
「やれる、やれない」ではなく「やるしかない」
――大学受験直前の大事な時期に、大変でしたね。
私は進学をあきらめて働く覚悟はできていたのですが、中3だった弟が高校入試を控えていて、そちらの方が心配でした。これから経済的に苦しくなることは目に見えていたので、県立高校に合格してくれてほっとしました。
父は自分ではお湯を沸かすことさえしない人で、母が倒れた後は、「これからはお前が母親だから」と、家のことは全て私に丸投げ。浪人することになった私は、家事と弟、妹の世話、母の看病をしながらの受験勉強でした。
――自分が18歳だった頃を思うと、まだほとんど子どものようなものでした。大学受験だけで精いっぱいだったのに、そのうえ介護と家事と子育てなんて考えられません。
母が元気だった頃は、何もしなくてもご飯が出てきたんですよね。「お茶わん下げといてね」って言われて、「はーい」と生返事だけして、実際には下げない……なんてこともしょっちゅう。でも母が入院してからは、ご飯は私が作らないと出てこないし、お茶わんも私が洗わなければ、いつまでもシンクの中にある。家事なんてほとんどやったことがなかったけれど、「やれる、やれない」じゃなくて「やるしかない」んですよ。
最近、ヤングケアラーという言葉をよく聞くようになって、「私もヤングケアラーだったんだな」と、はっとしました。高齢者の介護だけでなく、親が精神疾患を抱えているなどさまざまな理由から、子どもや若者が中心的に介護を担うケースが増えていますが、皆、同じ状況だと思います。「自分がやるしかない」。そんな選択肢がない状況に置かれているのです。
――つらいと思ったことはありませんか?
浪人時代は友達とも会わないようにしていました。もちろん、勉強や母の看病があったためなのですが、みんなキラキラして見えて、「なんで私だけがこんな状況なんだろう」って、同世代の子に会うとやっぱり思ってしまう。1人暮らしを始めた子がいたり、合コンに行っている子もいたり。普通の学生生活を送っている子たちが羨ましかった。
母が退院して家に帰ってきたのは、2回目の受験シーズンの真っただ中でした。「介護を言い訳にはできない」と、必死で勉強してきたおかげで、立教大学に合格しました。それまで私を褒めてくれたことなどなかった父も、この時ばかりは喜んでくれました。
家族はそれぞれ仕事や学校があるので、日中は母には1人でいてもらわなくてはなりません。狭くて段差だらけの家の中で、歯磨きとか顔を洗うとか、身の回りのことをどうやったら安全にできるかを考えました。母もだんだんとできることが増えていって、洗濯したシャツなども片手で器用にたたんでいましたね。
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