文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ウェルネスとーく

医療・健康・介護のコラム

[フリーアナウンサー 町亞聖さん](上)ヤングケアラーだった18歳の私…母の介護、弟妹の世話と家事を背負いながらの大学受験

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

 フリーアナウンサーの町亞聖さんは、高校3年の時に母親がくも膜下出血で倒れました。右半身まひの後遺症を負った母親が1999年に亡くなるまでの経験をつづった「十年介護」(小学館文庫)には、母親を介護しながら弟と妹を育て、自身の大学受験や就職活動を乗り越えていく様子が描かれています。子どもや若者でありながら家族の介護を担う「ヤングケアラー」の問題が注目され、国も支援に乗り出そうとしている今、介護保険もない時代にヤングケアラーとして青春を過ごした町さんにお話を聞きました。(聞き手・飯田祐子、撮影・中山博敬)

目の前でまひが進行

[フリーアナウンサー 町亞聖さん](上)18歳からのヤングケアラー生活…母の介護、弟妹の世話と家事を背負いながらの大学受験

 ――お母さんが倒れたのは、町さんがもうすぐ高校を卒業する時だったそうですね。

 90年1月、3学期の始業式の日でした。前の晩まで、母はいつもと全く変わらない様子で「明日から学校なんだから、早く寝なさい」なんて言ってたんです。朝になり、「具合が悪い」と言う母を寝かせて、母の勤め先に欠勤の連絡をしてから学校に行きました。その時点では、母の頭の中でそんな重大なことが起きていたなんて、想像もしていませんでした。

 夜になっても「頭が痛い」という母を、仕事から帰った父と一緒に病院に連れていきました。くも膜下出血と分かり、医師からは、手術しなければ死は免れない、手術してもリスクが高く、手術中に死んでしまう可能性もあるという説明を受けました。

 ――それほど危機的な状況だったとは。まさに晴天のへきれきです。

 この時、母はまだ40歳でした。本人はずっと意識があって、「大丈夫だから」「心配かけてごめんね」と言って、手術室に入っていきました。

 8時間に及ぶ手術は成功、命は取り留めました。母は、翌日に意識が戻った時には少ししゃべったのですが、すぐに言葉が出なくなりました。だんだんと右手が内側に曲がり始め、右半身のまひが進んでいくのを目の当たりにしました。

 10日ほど後に脳梗塞こうそくを併発し、一時心肺停止に……。人工呼吸器を装着する手術を受け、2か月ぐらい口から食事をとれませんでした。母は私と違って大柄で身長が170センチくらいあり、とても明るい人でした。その母がガリガリに痩せて、骨と皮だけの姿になってしまいました。

1 / 4

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

wellnnesstalk1-200

ウェルネスとーく

 あの人が、いつも生き生きしているのはなぜだろう。

 健康、子育て、加齢、介護、生きがい…人生の様々なテーマに向き合っているのは、著名人も同じ。メディアでおなじみの人たちが、元気の秘密について語ります。

ウェルネスとーくの一覧を見る

最新記事