鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
医療・健康・介護のコラム
死期近い60代子宮がん患者 付き添い疲れの夫と子に、看護師は帰っていいと言えず…「最期のとき」と家族
家族がトイレに行った瞬間に息を引き取ることも
カンファレンスでは、医師に予後予測を再確認。「長くても数日」という予測は変わらなかった。看護師が、家族と一緒に何度か観察したところ、表情が穏やかであったことから、痛み止めの量は変更しないことになった。
看護師が、「家族の『そばにいても何もしてやれない』『苦しそうで見ていられない』というつらさを、なんとか和らげることはできないか」と相談したところ、別の看護師は、「私もそう思うことが何度もあった。24時間付き添っていても、家族がトイレに行った瞬間に息を引き取ることもある。それは、『患者さんがそういうふうに選んだことなんだ』って考えるようにしている」と話した。医師は、「ご家族は今まで十分、付き添ってこられた。患者さんに意識があり、心細くて一番そばにいてほしい時期に家族がいてくれた。そのことを家族にお伝えしてはどうか」と提案した。
結局、この患者さんは、家族が見守るなか、息を引き取ったそうです。看護師は、少し 安堵 したと言うものの、「家族のつらさを和らげることができたという実感はなかった」とも話します。最愛の人を 看取 るプロセスで、家族の苦しみや揺れ動く思いにどう向き合うか、本当に難しいケースだと思いました。
「息を引き取る瞬間」だけが特別ではない
この家族は、手足の動きなど、患者さんの一挙手一投足に反応しています。そのような家族にどうかかわっていくのか、この看護師に聞いてみました。「手を動かす仕草が苦しみのサインと考えているのであれば、一緒にベッドサイドで見守ります。患者さんの表情が穏やかであれば、どうして動いたのか、仕草の意味を一緒に考えます」とのことでした。看護師には、長年の経験や専門的な見地からの見方がありますが、「家族自身がどう感じているのか」「家族が納得できるかどうか」を大切にしていることがわかります。
今回のケースを通し、「息を引き取る瞬間」だけが特別ではなく、生きることの延長線上にそれはあること、また、その瞬間がいつ訪れるかわからないなかで、今、かかわり続けることの大切さを教えられました。(鶴若麻理 聖路加国際大教授)
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