鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
医療・健康・介護のコラム
乳がん脳転移で余命3か月の30代女性 「オムツにばかりしていたらダメ」と叱咤する夫の秘めた思い
30代、女性。乳がんが脳転移しており、緩和ケア病棟に1週間前から入院している。夫と2人暮らしで、他に頼れる親族はいない。予後3か月と言われた。
痙攣 による意識障害をきたした際には食事やトイレに行くことができなくなり、さらに短い予後も予想され、その旨が夫に説明された。その後、痙攣と脳のむくみを抑える薬で意識レベルが改善し、食事ができるようになり、リハビリで立位訓練をするまでに状態が安定したが、言葉の出にくさや、記憶障害がかなり進行している。
患者は主婦で、明るく快活な女性であった。夫(40代)は糖尿病を患っており、2人で支え合ってきた。
夫は毎日病棟にきて、「トイレって自分から言わないと、オムツにばかりしていたらダメだぞ」とか、「ほら! トイレ行くんだろ」と 叱咤 激励している。患者は、夫が不在のときは「うーん」と言うだけだが、夫がトイレへの移動を促すと、立とうとしてベッド柵に手をかけることが多い。しかし、困ったような表情をしている。看護師2人で前後から支えながら、足がすくむ患者を何とかトイレまで移動させている。
食事介助については、夫から看護師に、「本人の気持ちに沿ってうまく介助すれば、全部食べられます。だからそういうふうに介助してください」と要望があった。受け持ち看護師が「奥さまの体調やお気持ちで食べる量が日によって変わることもあります」と言うと、「それは分かりますが、でも全部食べられるんです」と話した。
励ます夫に困ったような表情
緩和ケア病棟で働く3年目の看護師が語ってくれたケースです。夫にトイレへ行くことを促され、患者さんは困ったような表情をしていました。夫のいないところでは、トイレへ歩いていくことや食事も、体調によっては心地よく思っていないことを、看護師は感じ取っていました。
患者さんは、言葉の理解が難しく、新しいできごとを覚えられないといった記憶障害があるため、「その瞬間の心地よさ」を提供していくことが良いと、看護師は考えていました。受け持ち看護師は、食事やトイレ介助への夫の要望は、患者本人というよりは、夫自身のためのように感じてしまい、このような対応を続けてよいのか悩みました。一方で、家族もケアの対象であるため、「夫の望む対応」という視点も重要です。どうすればよいのでしょうか。
緩和ケア病棟の多職種カンファレンスで、この患者さんの日常ケアをどう支えていくかを話し合うことになった。看護師らのほかに、主治医、作業療法士が参加した。
受け持ち看護師からは「夫は妻が弱っていく姿を受けとめきれないのではないか」、他の看護師からは「夫にも不眠や食欲低下が見られ、看病の疲労もあると思う」と発言があった。医師からは「患者さんの様子はどうなのか」と質問があり、受け持ち看護師は「患者さんにとって、トイレまで歩くことや食事を全部食べることはどんな意味があるのでしょうか。それを患者さんはうまく言えないので、私たちも患者さんに無理強いする意味が見えなくて……。そのときはつらそうにしていても、患者さんは忘れてしまうようですが、それでいいのでしょうか。それに、負担の重い介助なので、転んでしまってご主人に何を言われるかわからないです」と答えた。
さらに、「患者さんがつらそうに見えること、トイレまでの歩行でも途中で足が震えてしまうことをご主人に伝えて、ご本人の意向や体の状態に合わせる方がよいと理解してもらうのはどうでしょうか」と言った。患者さんの脳の機能やそれに伴う行動の可能性をよく理解している作業療法士は、「患者さんの状況をみると、負担の少ない移動方法を考えたほうがよい。トイレ移動のための歩行をリハビリとはしない、という考え方もある」との意見だった。
こうしたやり取りの中、先輩の看護師から、次のような意見がありました。
「家族の形はいろいろある。わたしたちは家族の形を変えることはできないと思う。ご主人は支配的に見えるかもしれないけど、患者さんとご主人は2人で支え合ってきたのだから、今のご主人の言動には理由があるんじゃないかな。どうしてご主人は、トイレへ移動することや食事を全部食べることにこだわっているのかな」
それを聞いた受け持ち看護師は、まず夫に話をきくことから始めました。
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