Dr.高野の「腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」
医療・健康・介護のコラム
がん診断後が人生で一番楽しかったと言う患者…病気だと「健康」ではないのですか?

イラスト:さかいゆは
このお正月、初詣で、あるいは、新年を迎えるとともに、何か願いごとをされたでしょうか。
「家族が皆、健康でありますように」と願った方も多いと思います。お正月でなくとも、常日頃、誰もが願っているのが「健康」ですね。
では、「健康」とは何でしょうか? 「病気でないこと」という答えが多そうですが、そうだとしたら、「病気」とは何でしょうか。「健康が正常で、病気が異常」というイメージがありますが、そもそも、正常と異常の境目はあいまいで、簡単に区別できるものではありません。
「健康と病気」「正常と異常」 二つに分けるのは窮屈
病気と言っても、いろいろあります。風邪を引いたり、花粉症に悩まされたり、腰痛がつらかったり。程度もいろいろですし、日によって調子が良かったり悪かったりしますので、どこまでが「健康」で、どこまでが「病気」か、線引きするのは難しいものです。
がんという病気があると、健康ではないと考えられがちですが、「がんと診断されたけど何も症状がない状態」は、病気と健康のどちらでしょうか。現在、がん患者になっていない人たちの多くは、「体のどこかにがん細胞があるけど診断はされていない状態」にあるわけですが、それでも健康と言えるでしょうか。
この質問が、「がん」ではなく、「動脈硬化」だったらどうでしょうか。がんや動脈硬化は、年齢を重ねれば誰にも訪れる老化現象のようなものです。では、老化は病気なのでしょうか。年を取るとともに、健康は失われていくものなのでしょうか。
ヘンな問いかけを重ねてしまいましたが、私が言いたいのは、健康と病気、正常と異常、というふうに二つに分けて考えるのは、なんだか窮屈だということです。
「異常を指摘され、病気というレッテルを貼られたら、健康でいられる権利が奪われてしまう」という恐怖心から、「異常値は正常に近づけなければいけない」「病気は治さなければいけない」と思い込むようになり、その結果、異常値が続いたり、根治の難しい慢性的な病気になったりした場合に、どうしようもなく絶望的な気持ちになってしまいます。この窮屈な「健康」のイメージから自由になることができたらいいのに、と思うことがよくあります。
「健康とは、幸せであるかどうかで決まる」
世界保健機関(WHO)は、健康について「単に病気でないとか、虚弱でないだけでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態である」と定義しています。これこそが完璧な「健康」だという内容です。「究極の目標」としては素晴らしいものですが、この定義だと、「私は健康だなあ」としみじみ感じるのが、さらに難しくなりますね。
健康の定義で、私が最もしっくりくる説明をしてくれたのは、米国の医師パッチ・アダムスです。パッチのエピソードは、1998年に映画化もされているのでご存じの方も多いと思います。
パッチは、「健康とは、幸せであるかどうかで決まる(Health is based on happiness.)」と言っています。「病気があっても、その人が幸せであれば、健康だと言える。病気があるかどうかに関係なく、誰もが幸せになることができるし、それが本当の意味での健康だ」と、パッチは説明します。
がんなど、治らない病気と向き合っていても、けっして健康になる権利を奪われてしまうわけではありません。がんとともに生きながら、幸せを目指すことで、健康を手に入れることができます。たとえ病気を治せないとしても、医療によって、人の幸せを支えることはできるのであって、それは、病気を治すこと以上に重要なことであり、医療の本質です。健康を、「病気ではないこと」と定義して、それを目指すのが医療の役割だとしてしまうと、どうしても、医療には限界があるという話になってしまいます。人を幸せにするというのは、病気を治すこと以上に難しいことかもしれませんが、その方向性であれば、医療には、無限の可能性があるように思います。
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