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医療・健康・介護のコラム
[タレント 中澤裕子さん](下)私はモー娘。のために生まれてきたという思いが妊娠で一転…この子を産むために
1998年に「モーニング娘。」のメンバーとしてメジャーデビューした中澤裕子さん。10代のメンバーの中で最年長の24歳と遅めの芸能界入りでした。2001年にはグループを卒業してソロとなり、38歳で結婚して14年には生活の拠点を福岡に移しました。現在は、2児の子育てに追われるママさんタレントとして、地域のテレビ番組のほか、歌手としてのライブ活動も続けています。結婚や子育てなど暮らしぶりについて聞きました。(聞き手・渡辺勝敏)
現世で結婚はないと思っていた
――2012年に結婚されましたが、当時38歳ですから子どもを持つなら最後のタイミングといったことを考えてのことですか。
私、結婚するとは思っていなかったんですよ、現世では(笑)。独身のまま生きていくのかなぁ、というぐらいに考えていました。だから子どもは産まないんだろうなって。ところが、ご縁があって急展開。結婚して子どもを授かって。ダダダーッと進んでいって。結婚はデビューが決まった時よりもびっくりした出来事でした(笑)。
――働きながらの妊娠、出産は大変だったと思いますが、いかがでしたか。
妊娠中は大きなトラブルはなかったんですが、本当に難産で。陣痛が始まってから、生まれるまで30時間以上かかりました。陣痛ってこんなに痛いんだ。痛いし、子どもが心配だし、無事に生まれてきてくれるのかなって感じ。いよいよ赤ちゃんが危ないかもしれない、とまで言われて、産声を聞いた時には本当にほっとして涙して、なんとも言えない気持ちになりました。
――育児の方はやはりご苦労でしたか。
主人がすごく忙しいので、女性が家事も育児もやる、いわゆるワンオペに近い状態でしたよ。でも、「ありがとうね」という感謝の気持ちは持っていてくれました。ストレスがたまると、主人にはよく当たっていましたけど。
仕事中心から家族のためにへと考えが変わり福岡に転居
――結婚から2年後の14年には、ご主人の仕事の都合で東京を離れて福岡に転居しましたが、芸能人としては大きな決断でしたね。
主人は結婚前から福岡を仕事の拠点にしたいという希望を持っていましたが、私は仕事を続けたいから無理だと言っていました。モーニング娘。をやるために生まれてきたと思っていましたから。ところが妊娠した途端に、私はこの子を産むために生まれてきたんだって、気持ちが変わったんですよ(笑)。そうなると、これからは自分のやりたいことだけじゃなくて、子どものこと、家族のことを考えなきゃいけない。私、単純なんです。「今でも福岡に行きたい気持ちはある?」と主人に尋ねたら、「行きたい」と言うので、福岡に行くことを決めて事務所に報告しました。
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