東ちづる 山あり谷ありダイアリー
医療・健康・介護のコラム
「私を忘れないで」と泣く少女 紛争で傷ついた子どもたちの施設で…あの光景に突き動かされて
大人の争いの犠牲に
けがや病気の治療で、「痛いのやだな~」とおじけづく時、思い出す子どもたちがいます。「あの子たちも頑張ってるんだから! これしきのことでビビるんじゃない! がんばれ、アタシ!」と。
それは、「ドイツ国際平和村(以下、平和村)」の子どもたちです。
ご存じでしょうか? まずは、簡単に「平和村」をご紹介しますね。
世界各地では、紛争が続いています。戦地で暮らす子どもたちは、銃で撃たれたり、空爆にあったり、地雷を踏んだり手にしたり、バーナーで焼かれたり、ナイフで切られたりして、重傷を負ったり、化学兵器で奇形や重病を患ったりと、むごい目に遭っています。いったん紛争が沈静しても、地雷や不発弾が埋まっているままだったり、不安定な政治や生活の困窮から病気やけがの治療ができなかったりと、さまざまな事情で、子どもたちが悲惨な目に遭っているのです。アフガニスタン、アンゴラ、グルジア、アルメニア、ルーマニア、ガザ、カンボジアなどの国や地域で生まれた、罪のない子どもたちです。
ドイツでリハビリ
「平和村」は、1967年、市民の手で設立された民間団体で、ドイツ・オーバーハウゼン市にあります。紛争で傷ついた子どもたちをドイツに連れてきて、ヨーロッパの病院で手術入院をし、「平和村」でリハビリを。そして、日常生活ができるようになれば、母国に帰すという活動をしています。また、「全ての人々の平和な共生に誰もが寄与できる」ということを多くの人に示す、平和教育活動も行っています。それらの活動を支えているのは、寄付金です。
「平和村」と私のお付き合いは、テレビ番組「世界ウルルン滞在記」(MBS系列)でリポーターとして訪れた1999年からです。河原剛ディレクターとスタッフ3人と私は、「平和村」の活動や子どもたちを通して知る世界の紛争に、大きな衝撃を受けました。それは、視聴者にも届き、高視聴率を重ね、日本からの寄付金も集まり、何度も取材、撮影、放映を繰り返すことになりました。
1 / 3
【関連記事】
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
※個人情報は書き込まないでください。