町田忍の昭和回想
医療・健康・介護のコラム
8ミリに 動く思い出 いつまでも
昭和は遠くなりにけり--。銭湯や手描き看板をカメラにおさめ、お菓子のパッケージを収集するなど、庶民の暮らしを見つめてきた町田忍さんが、懐かしいあれこれをイラストにして回想します。みなさんも古いアルバムや本、新聞を引っ張り出し、町田さんのイラストと合わせて、昔を振り返ってみてはいかがでしょうか。 |
8ミリカメラ
8ミリフィルムのカメラと映写機が日本に入ってきたのは、一説には昭和8年頃とされている。戦後の高度経済成長期になると、個人の趣味として購入する人も増えてきた。
私も高校生の時、知り合いに貸してもらって、友人たちとのスキー旅行の記録を撮影した。映写会を開き、皆が動く姿を見ると、やはり感動した。激しくぶれていたが。
8ミリは値段が高かったし、撮影や編集の手間が大変だった。上映するのも一苦労だ。裕福な趣味人のものというイメージがあったし、自分でも買いたいとまでは思わなかった。
8ミリに比べて扱いやすく、値段も現実的だったスチールカメラを買い、趣味の鉄道撮影に打ち込んだ。
【関連記事】
亡父の思い出
けのけのもへじ
私は昭和41年生まれです。よちよち歩きを始めた頃から小学校入学時まで、世間でも8ミリカメラが流行していたのでしょうか、父がよく撮ってくれました。...
私は昭和41年生まれです。よちよち歩きを始めた頃から小学校入学時まで、世間でも8ミリカメラが流行していたのでしょうか、父がよく撮ってくれました。時にはタイトルも付けて、家で部屋を真っ暗にして、ふすまに映像を写してちょっとした映画会を楽しんだものです。結婚で日本を出てから2年後にやっと夫を連れて里帰りした折は、父に昔と同じ様に8ミリの映画を見せてもらい、外国人の夫もたくさんのアルバムにある写真に加え、小さい頃の私の動く姿を見ることができて感心していたことなど懐かしい思い出となりました。
つづきを読む
違反報告