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認知症と共生 訴えた生涯…長谷川和夫さん死去

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 認知症医療の第一人者で、2017年に認知症になったことを自ら公表した精神科医の長谷川和夫さんが、92歳で亡くなった。医師と患者双方の立場から生涯、認知症と向き合った専門医が生前に語った言葉は、やがて高齢者の5人に1人が認知症になると見込まれる時代に生きる私たちにとって示唆に富む。言葉を振り返るとともに、老年期の診断や治療のあり方を考えてみる。(編集委員 猪熊律子)

医師と患者 体験言葉に

大往生

認知症と共生 訴えた生涯…長谷川和夫さん死去

認知症と公表してから2年後、東京都内の自宅周辺を歩く長谷川さん。「この世にいるうちは人様のお役に立ちたい」と語っていた(2019年10月30日)=鈴木竜三撮影

 「亡くなる1週間ほど前、病床の父に『楽しかったねー』と言って抱きしめると、父は泣き笑いのような表情でうなずいた。認知症なんて関係ない、言葉はなくても心は通じると思いました」

 13日に亡くなった長谷川さんについて、娘の南高まりさんはそう話す。亡くなる3週間前に体調を崩して入院し、肺炎や低ナトリウム血症などに悩まされたが、最期は苦しまず、大往生だったという。

 東京慈恵医大を卒業し、米国留学後、1960年代後半から認知症の研究を始めた。当時は「 痴呆ちほう 」と呼ばれ、自宅や病院での隔離や身体拘束が当たり前の時代。診断基準が必要だと、74年に認知機能検査「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した。

 生活の障害や偏見に苦しむ本人や家族の助けになればと、聖マリアンナ医大病院で外来診療の延長としてデイケアを実施。2004年には、「あほう」など 侮蔑ぶべつ 的な意味を持つ「痴呆」という用語を「認知症」に変える国の検討会委員となり、議論を先導した。「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」という理念の普及にも貢献した。

意義

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 88歳で自らが認知症( 嗜銀顆粒しぎんかりゅう 性認知症)になったと公表。最近、本人による公表が相次ぐ中、認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子副センター長は、長谷川さんの公表は次の二つの点で意義があると語る。

 一つは、専門医でも認知症になることは避けられず、生きていく上で誰もがなり得ることを堂々と示した点。もう一つは、専門医でもなってみなければわからない未知の部分があると伝えた点。「だからこそ本人が体験を語ることは意義がある。それを基に共に考え、共生社会を築く大切さを身をもって伝えてくれた」と永田さんは指摘する。

町づくり

 長谷川さんが「当事者になってわかった」と語ったことの一つに「連続している」という言葉がある。

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