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妊娠・育児・性の悩み

顕微授精で授かった男の子 7か月の早産で亡くす悪夢乗り越え、不妊治療10年目の決意

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 Tさん(43)が結婚したのは32歳の時。趣味で通っていたスイミングクラブで夫と知り合い、10年ほど友達付き合いをしていました。夫のことは同じ水泳チームの仲間として、責任感があり、誠実でまじめな性格だと思っていましたが、結婚の決め手は、子供と接する夫を何度も見て「この人は絶対に良い父親になるだろうな」と確信したからだそうです。

 20代の頃から、不正出血があったり、生理痛もひどかったりしたTさんは、「もしかしたら私は妊娠しにくいのかもしれない……」と思っていたため、結婚してすぐに妊活を始めました。けれども、自己流ではなかなか妊娠しません。そこで、不妊治療専門の病院に行くことを決めました。病院に行くことにはさほど抵抗はなかったし、むしろ「これで妊娠できるのかも」と前向きだったそうです。ただ、検査で痛い思いをしたりするのが嫌で、内診も苦手だったため、それだけが不安でした。

「タイミング療法」から始め、人工授精は10回以上

 病院に行くと、すぐに、排卵日を推測してその日に夫婦生活を持つ「タイミング療法」を開始。初めは、薬を全く使わない自然周期のタイミング療法をしましたが、残念ながら妊娠できませんでした。そこで次に、排卵誘発剤を使用してのタイミング療法を試すことになりました。けれども、排卵誘発剤の副作用で 頸管(けいかん) 粘液が出なくなるといったことが起こったため、医師から、夫の精液を採取し、洗浄した精子を妻の体に注入する「人工授精」を勧められました。しかし、Tさんは人工授精には抵抗があったので、ここで1年半ほど治療を中断して、再び自己流のタイミングをとって妊娠を目指していました。

 けれども、毎月生理が来てしまい、なかなか妊娠できません。生理が来るたびに落ち込み、どうして妊娠できないのだろうと悩む日々が続きました。ついに決意して治療を再開し、「人工授精」を行うこととなりました。初めての人工授精の時には、「これでやっと妊娠できたかも!」と期待したものの、判定日の結果はマイナス。そして2、3回人工授精をした後、Tさんの子宮内膜症がひどくなり、手術をすることになりました。その後、子宮腺筋症、子宮筋腫,チョコレート 嚢腫(のうしゅ) の手術を終えて、また人工授精から治療再開し、合計10回以上の人工授精を繰り返し受けました。治療を繰り返すごとに、Tさんの気持ちは重く沈んでいく一方でした。

後から結婚した同僚たちがどんどん出産

 「自分より後から結婚した人たちが、どんどん出産していくことに焦り、悔しい思いをしました。私は治療のスケジュールに合わせて予定を組まないといけないし、職場にも早退欠勤の大体の予定を伝えておく、旅行や友人との約束もすべて治療のスケジュールに合わせて調整するなど、本当に治療中心の生活を送ってがんばっているのに、それでもちっとも妊娠できない。それなのに職場のスタッフが妊娠し、どんどんおなかが大きくなっていくのを見るのがつらかったです」

 そんな自分の気持ちを絶対に周りに悟られないよう過ごすのがストレスだったそうですが、家では夫がその気持ちを理解してくれて、「(妊婦さんを)見るのがつらかったら仕事を辞めてもよいと思うよ」と言ってくれたことに救われた、と話してくれました。Tさんは実際に退職する気持ちはなかったものの、自分のつらさを夫が理解してくれ、気持ちを共有してくれただけで救われたそうです。「そして主人は、妊娠したスタッフも子供が欲しくて妊娠したのだから、それはおめでたいことだから……と言うのです。私以上に子供を望んでいたのに、他人のことを祝うことができる主人を尊敬しました」

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松本 亜樹子(まつもと・あきこ)
NPO法人Fineファウンダー・理事/国際コーチング連盟マスター認定コーチ

松本亜樹子(まつもと あきこ)

 長崎市生まれ。不妊経験をきっかけとしてNPO法人Fine(~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会~)を立ち上げ、不妊の環境向上等の自助活動を行なっている。自身は法人の事業に従事しながら、人材育成トレーナー(米国Gallup社認定ストレングス・コーチ、アンガーマネジメントコンサルタント等)、研修講師として活動している。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)など。
Official site:http://coacham.biz/

野曽原 誉枝(のそはら・やすえ)
NPO法人Fine理事長

 福島県郡山市出身。NECに管理職として勤務しながら6年の不妊治療を経て男児を出産。2013年からNPO法人Fineに参画。14年9月に同法人理事、22年9月に理事長に就任。自らの不妊治療と仕事の両立の実体験をもとに、企業の従業員向け講演や、自治体向けの啓発活動、プレコンセプションケア推進に力を入れている。自身は、法人の事業に従事しながら、産後ドゥーラとして産後ケア活動をしている。

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