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障害は個性、メガネをかけている人と同じ…パラに感じた「心の変化こそレガシー」
東京パラリンピックの銅メダルに触った後輩たちは、目を輝かせて喜んだそうです。閉幕から1か月がたちましたが、大切な経験が着実に受け継がれているようで、大会を現場で取材した私もうれしくなりました。
陸上短距離の高松 佑圭 選手(28)(大阪市住之江区)は9月19日、練習拠点の一つ、知的障害者の陸上競技クラブ「堺ファインズ」(堺市)に、ユニバーサルリレーで獲得した銅メダルを持参しました。
「重たい」「すごい」……。はしゃぐ後輩選手らの姿に、高松選手の母親、千佳さん(57)は「『パラリンピックに出たい』と一人でも思ってくれたら」と目を細めます。
脳性まひの影響で左手が不自由で、知的障害がある高松選手。体を動かすのが大好きで、千佳さんの勧めで中学の時に陸上を始めました。
私が高松選手に初めて会ったのは昨年3月。笑顔を絶やさず、周囲に積極的に話しかける明るい人柄に魅了されました。高松選手が特に力を入れて練習していたのがリレーで次走者にタッチしてつなぐ「タッチワーク」でした。
高松選手が3走を務めた日本は決勝で4位。囲み取材は重苦しい空気でしたが、途中で2位の中国が失格になったとの情報が入り、3位に繰り上がることに。「ちょっと実感がないんですけど、どうしたらいいでしょうか」。高松選手の一言で、その場の雰囲気が一気に和みました。
タッチが「うまくできた」と満足そうな姿に、私まで喜びがこみ上げました。
「障害は『メガネをかけている人』と同じように、あくまで一つの個性。障害者と身近に触れ合う機会が増え、理解が深まればうれしい」。千佳さんの願いです。
もう一人、紹介したい選手がいます。
陸上・女子1500メートル(知的障害)の古屋杏樹選手(26)。「最初から最後までみんなをくぎ付けにするレースをしたい」。大会前の取材でそう語っていた古屋選手は、スタート直後から飛び出し、先頭で世界の強豪を引っ張りました。最後は少し失速しましたが、4位入賞。宣言通りの走りに胸が熱くなりました。
心を揺さぶられたのは私だけではありませんでした。母親の亜樹さん(52)の元には「杏樹ちゃん、頑張ったね」「勇気をもらった」というメッセージや手紙が約50通。亜樹さんは「予想を超える反響に驚いた」と声を弾ませつつ、こんなことを語りました。
「知的障害は外見ではわかりにくいこともある。見えづらくても、本人は苦しんでいることがあると心寄せる人が一人でも増えてほしい」
約2年前に大会に向けた取材を始めるまで、選手たちを障害者という「特別」な存在のように見ていた気がしますが、素顔を知り、大舞台で全力を尽くす姿に触れる中で、ぐっと身近に感じるようになりました。最近は街中や電車で車いすや 白杖 の人を見かけると、思わず目で追いかけています。困っているとのサインを見逃さず、すぐにサポートしたいとの思いからです。
小さくても、ひとりひとりの心の中に変化が生まれれば、それこそが何物にも代えがたい大会の「レガシー(遺産)」なのかもしれません。
今回の担当は
新田修(にった・おさむ) 約2年間で100人以上のパラ選手らを取材。大会中はほぼ毎日、陸上会場の国立競技場にいた。
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