リングドクター・富家孝の「死を想え」
医療・健康・介護のコラム
新型コロナ感染症、肺炎で死ぬのは苦しいのか?
鎮静すると意思疎通できなくなる
昨年、人工呼吸器やECMOに関して、東京大学などの研究チームがインターネットで一般の意識調査を実施しました。その調査は、全国の20~89歳の男女2239人を対象に行われ、新型コロナに感染して重症化した際に「人工呼吸器を使う可能性がある」ことは、93.1%の人が知っていました。
ところが、人工呼吸器の装着時に鎮静剤を使って意識レベルを下げ」ことを「知らない」と答えた人は58.1%もいました。さらに「ECMOの装着中は意識が薄れ、コミュニケーションを取れない」という事実は、48.3%の人が知らなかったのです。新型コロナ肺炎に限らず、肺炎が悪化した患者に人工呼吸器やECMOによる治療をすると、場合によっては意識が戻らぬまま延命治療が延々と続くことがあります。人工呼吸器を着けた時が、実質的には最期の別れになることもあるのです。
その場合、もし「もう回復の見込みがない」となったとき、医者も家族も本人の意思を確かめられません。延命治療を選ぶのか、自然な最期を選ぶのか、この岐路に立つときが訪れます。
高齢者は意思を家族に告げておく
従って、特に高齢者の場合は、「生前意思」を家族と話に告げておく、あるいは「事前指示書」として書き残しておくことが大切です。最近は、「治療しても助からないのなら、苦しくないように眠らせてほしい。本人もそれを望んでいます」と言う家族も増えているようです。
私もそうですが、高齢になるにつれて、誰もが死ぬことに不安を持つようになります。よほど、人生を悟った人でない限り、死を素直には受け入れられません。ただ、死そのものに対する漠然とした不安とは別に、具体的な不安があります。それが、「苦しまないで死ねるのか?」ということです。
これに対する答えは、「望めばかなうでしょう」です。苦痛を和らげる緩和医療は進んでいます。私も往診をして患者さんを看取った経験はありますが、高齢で衰弱し肺炎で亡くなる場合など、苦しそうだったという印象は持っていません。いろいろなケースがあるとは思いますが、楽にするための医療的な方法は考えられるでしょう。
ぽっくり往生の寺に祈るのはさておき
奈良県斑鳩町にある吉田寺は、「ぽっくり往生の寺」と呼ばれ、高齢の参拝者が絶えないと聞きます。もちろん元気で長生きはしたいけれど、苦痛は嫌です。参拝者は本堂の阿弥陀如来に手を合わせ、祈ると言います。
「どうか楽に死なせてください」……。
祈りはともかく、苦しまないで死ぬためには、最期をどう迎えたいのか、家族と話をしておくことです。そしてもし、かかりつけの医師や看護師がいるなら、そうした医療スタッフにも考えを伝えておくといいでしょう。(富家孝 医師)
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