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医療・健康・介護のコラム

不妊治療との両立に悩んで退職、ようやく妊娠も「やっぱりやめたくなかった」

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不妊治療との両立に悩んで退職、ようやく妊娠も「やっぱりやめたくなかった」」

 Yさんは42歳。33歳の時に食品メーカーに勤める同期の夫と結婚し、しばらくは新婚生活を楽しんでいました。二人とも旅行が趣味で国内はもちろん、海外にも年数回は出かけ、周囲からは「子どもがいないから自由でいいね」「子どもは作る気はないの?」とよく言われていたそうです。

自己流で妊活 受診は「まだ若いから」と先送り

 しかし、実はYさん夫婦は、ひそかに子どもができないことに悩んでいました。自己流で排卵日を特定して妊活に取り組んでいたのですが、二人ともちょうど仕事が忙しい年齢。どちらかがやっとの思いで仕事を切り上げて早めに帰ってきても、片方が急な会議などで仕事が長引いてしまい、結局、その日は機会を逃すなど、なかなか妊活のタイミングを合わせられず、もやもやした日を過ごしていたそうです。そんな二人の唯一のストレス解消が休日の旅行でした。「病院に行ってみようか」と思ったことはあったそうですが、「まだ若いから、もうちょっと後でもいいかな」と先送りにしていたそうです。

 二人は周囲に、子どもを望んでいるけれどまだ授からないこと、妊活をしていることを言っていませんでした。まだ病院にこそ行っていませんでしたが、妊活のことを話すと、いろいろ詮索されたりするのではないかと思っていたからです。実はYさんのチームに不妊治療中の同僚がいて、そのことを周囲に話していたのですが、治療についていろいろと聞かれたり、本人のいないところでそのことが話題に上ったりすることがあったため、Yさんは「自分はまだ病院に行ってはいないけれど、妊活のことを話すと、もしかしたら同じような目にあってしまうのかも」と思うと、とても周囲に話す気になれなかったといいます。

40歳を前に初めて受診 「特に問題ない」と言われ期待

 けれども、39歳を過ぎたころ、Yさんはいよいよ不安になってきました。「もしかしたら、このまま子どもができないかもしれない……」と思ったのです。そこで一念発起して、二人で近くの不妊も扱っている婦人科に行き、一通りの検査を受けました。「検査の時にけっこう痛みがあったんですけど、やっぱり卵管がやや通りがよくなかったらしいんです。あとは、夫のほうもやや運動率がよくないといわれたぐらいで、先生からは『お二人とも特に大きな問題はありませんね。卵管は検査で通りがよくなったと思いますので、タイミング法で様子を見てみましょう』と言われたので、これでもう妊娠できると期待していました」とのことでした。

 その後、Yさんは病院で排卵のタイミングを確認してもらい、その日に必ず夫婦生活を持つという「タイミング法」を実施しました。「最初のタイミングの時には、予定日になっても生理がこなかったので、これで妊娠できた!と思って、すごく期待していました。でも3日後に生理がきてしまって」と、残念ながら妊娠できなかったことを語ってくれました。

タイミング法を半年以上続けた後、人工授精さらに体外受精へ

 その後、タイミング法は毎月必ず行い、半年以上続けたそうです。医師からは「そろそろ人工授精を」と勧められてはいたのですが、Yさんは不妊治療を本格的に進めていくことに抵抗がありました。「人工」という言葉にどこか不自然さを感じてしまっていたことと、くだんの同僚のことが頭にあり、「不妊治療を始めたらいろいろと大変そうだ」と思ってしまっていたからです。

 しかし、いつまでもそうもいっていられません。夫と話し合い、ついに人工授精をすることになりました。緊張しながら始めた治療でしたが、やってみると、人工授精は実にあっけないものでした。夫の精子を採取して、それを洗浄し、子宮内に戻すだけ。痛みも特にありません。「こんなことならもっと早くやっておけばよかった」とYさんは思ったそうです。

 そして判定日。残念ながら、結果は病院に行く前にわかってしまいました。Yさんは待ちきれず、市販の判定キットを購入し、自分でチェックしていたからです。初めての治療の時には、誰しも「これで妊娠できた!」と期待するものです。Yさんもご多分にもれず大きな期待をしていただけに、その落胆は大きかったといいます。「それから、もう次の治療は考える間もなく、まるでベルトコンベヤーに乗ったかのように、どんどん進んでいった感じです」。Yさんは2回目の人工授精、3回目……と、治療を重ねていったそうです。

 「仕事にすごく支障があるとかだったら、こんなに自動的に進んでいかなかったと思うんですけど、人工授精の時にはそこまで病院に行く必要もなかったので、両立も大丈夫だったんですよね」と、Yさんは話してくれました。

 そして、約半年間、人工授精を続けたYさん夫妻でしたが、医師から今度は「体外受精」を勧められたそうです。「その時にはもう、ここまで頑張ったんだから、次の治療もやらないという選択肢はないと思って」と、Yさんは体外受精を受けることにしました。

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松本 亜樹子(まつもと・あきこ)
NPO法人Fineファウンダー・理事/国際コーチング連盟マスター認定コーチ

松本亜樹子(まつもと あきこ)

 長崎市生まれ。不妊経験をきっかけとしてNPO法人Fine(~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会~)を立ち上げ、不妊の環境向上等の自助活動を行なっている。自身は法人の事業に従事しながら、人材育成トレーナー(米国Gallup社認定ストレングス・コーチ、アンガーマネジメントコンサルタント等)、研修講師として活動している。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)など。
Official site:http://coacham.biz/

野曽原 誉枝(のそはら・やすえ)
NPO法人Fine理事長

 福島県郡山市出身。NECに管理職として勤務しながら6年の不妊治療を経て男児を出産。2013年からNPO法人Fineに参画。14年9月に同法人理事、22年9月に理事長に就任。自らの不妊治療と仕事の両立の実体験をもとに、企業の従業員向け講演や、自治体向けの啓発活動、プレコンセプションケア推進に力を入れている。自身は、法人の事業に従事しながら、産後ドゥーラとして産後ケア活動をしている。

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