歌人 穂村弘さん
一病息災
[歌人 穂村弘さん]緑内障(2)病気を知らせると「じゃ結婚しようか」…夫婦に
専門医に緑内障と、はっきり診断された。「失明するかもしれないと思うと、びびりまくりました」
42歳だったこの時期、会社に勤めながらも、短歌やエッセーなどの仕事が、かなり増えていた。
1986年、24歳の時、新人の登竜門である角川短歌賞で、応募作が次席になり注目された。ちなみに、その年の受賞者は俵万智さん。応募作を含む第1歌集「シンジケート」を、90年に刊行した。<子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」>
評価は分かれた。有名な歌人に「チンプンカンプン」と批判される一方で、歌壇の内外から激賞された。散文も手がけ、鋭い批評性と時代感覚、とぼけた味わいがないまぜになったエッセーは、多くのファンを得た。
診断を受け、人生の優先順位を改めて考えた。「目が見えるうちに、もっと書こう」と決め、会社に辞表を出した。付き合っていた女性は病気を知ると、「じゃ結婚しようか」と言ってくれた。結婚した。「かわいそうだと思ったのかな」
緑内障では、眼圧が上がり視神経が傷つく。一度損傷した視神経は元に戻らない。多くの場合、病気の進行を遅らせる目的で、眼圧を下げる目薬を投与する。一生治療が続くとされるが、痛みや自覚症状はなかった。
「日常生活で注意するべきこともほとんどない。何かできないかと、自己判断でコンタクトレンズをやめたくらい。もともと飲酒や喫煙はしないけど、それも何も言われなかった」
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歌人 穂村弘 さん(59)
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