一病息災
闘病記
[歌人 穂村弘さん]緑内障(1)“不治の病”に自分の残り時間を意識 退社し「もっと書こう」
歌人では、同世代のトップランナーの一人だ。エッセー、批評、絵本などにも筆を振るい、短歌の世界にとどまらない、幅広い人気がある。
短歌を作ることは、稼げる「仕事」ではない。ほとんどの歌人は、教員や編集者など、何らかの職業に就いている。ご多分にもれず、大学を卒業後、IT会社に勤めていた。42歳で緑内障と診断されるまでは。
「僕にとっては、人生の優先順位を考え直すきっかけになった。と思いました」
当時、総務部で社員に健康診断を勧める立場だったので、受診してみた人間ドック。医師から「緑内障の疑いがあります」と告げられた。ショックだった。同時に、「やっぱり来たか」という思いもよぎった。
緑内障は、眼球の中の圧力「眼圧」が高くなり、視神経が傷ついて視力が失われる。10年、20年かけて視野が少しずつ欠けていくため、本人が気づかぬうちに進行していることも多い。
実は、小学1年からメガネをかけている。近視で数年間、眼科に通院していた。「この子は眼圧が高い」と言われ、ガラス瓶からスポイトで目薬を差していたことを記憶している。
再び「眼圧」という言葉に出合った。視野の欠落は、まだ自覚するほどには進んでいなかった。
「でも、根本的な治療法はない『不治の病』でしょ。自分の残り時間を示す、見えない時計をいきなり手渡されたようでした」
会社を辞める決心をした。
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歌人 穂村弘 さん(59)
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